偽情報が政治制度に組み込まれた国の構造分析  ー 「Disinformation Landscape in Romania」

偽情報が政治制度に組み込まれた国の構造分析  ー 「Disinformation Landscape in Romania」 民主主義

 2025年11月にEU DisinfoLabが公表した「Disinformation Landscape in Romania」は、ヨーロッパ各国の偽情報環境を比較する調査シリーズの一部である。本報告書は、ルーマニア社会における偽情報の生成、拡散、制度的定着の過程を、政治・宗教・メディアの三層構造から分析している。著者はティミショアラ西大学のCiprian Cucu、共同執筆者はBabes-Bolyai大学のSusanna Dragomir。焦点となるのは、2024〜2025年の大統領選挙を中心に、偽情報がどのように政治運動と統治の一部へと転化したかである。


国内で形成された「ソブリン主義」と情報空間の変化

 報告書は、ルーマニアにおける偽情報の主な担い手が、国外勢力ではなく国内の政治的潮流にあることを示している。中心となるのは「ソブリン主義(sovereigntism)」と呼ばれる運動で、民族主義、宗教的保守、反グローバリズムを結合させた政治連合である。この潮流は議会の約三分の一を占め、偽情報を政治的動員の手段として組織的に用いている。参加者は政治家、宗教指導者、文化人、オンライン・インフルエンサーなど多岐にわたり、反EU・反LGBTQ・反フェミニズム・反ワクチンといったテーマを共通の枠組みとして共有している。

 興味深いのは、これらの言説が海外の陰謀論を単に輸入しているのではなく、宗教的・民族的価値観の中で再解釈されている点である。ワクチン陰謀論は「信仰の試練」とされ、気候変動否認は「西欧の堕落に対する道徳的抵抗」として語られる。こうした文化的翻訳により、偽情報は国民的アイデンティティの語彙の一部として機能している。ロシア語話者も放送もほとんど存在しないにもかかわらず、旧共産主義時代のネットワークや宗教組織を介してロシア発の言説が再利用され、国内ナショナリズムと結合する。この構造が、外部操作ではなく「内発的な偽情報生成」を特徴づけている。


2024〜2025年大統領選挙:情報操作の制度化

 最も重大な事例として報告書が扱うのが、2024〜2025年の大統領選挙である。憲法裁判所が不正資金と外国関与を理由に選挙自体を無効としたという決定は、EU加盟国では例がない。主要候補カリン・ジョルジェスク(Calin Georgescu)は、AI生成コンテンツと自動化アカウントを活用し、TikTokを中心に支持を拡大した。彼の発信は科学否認と宗教的レトリックを組み合わせ、「COVIDは存在しない」「EUとNATOは支配構造」「神こそ真の科学」と訴えた。これらの主張は、対立候補への不信と国家的危機感を結びつけ、「このままではウクライナ戦争に巻き込まれる」「家族の価値が破壊される」といった恐怖訴求として広がった。

 選挙の無効決定後には、「外国勢力によるクーデター」という陰謀論が急速に拡散した。#turul2înapoi(第2ラウンドを取り戻せ)というスローガンがSNSと街頭運動を結びつけ、翌年の再選挙でも「不正がなければ勝利していた」という主張が繰り返された。米国のMAGA系インフルエンサーがこれに同調し、「民主主義の破壊」と投稿するなど、国際的陰謀論がルーマニア政治と結びついた。報告書はこの現象を「情報化された選挙」と位置づけ、AIと宗教言説が融合した政治動員の典型例として分析している。


主要ナラティブの連鎖構造

 報告書は、ルーマニアで支配的な偽情報の物語を四系列に整理している。
第一に、「ウクライナ戦線への徴兵」説。軍事演習の映像や偽造書類をもとに「若者が前線に送られる」と訴える恐怖型のメッセージが流布した。第二に、「EU植民地論」。気候政策やエネルギー規制を「欧州官僚による支配」と捉え、フランスを「ヴィドラル湖の資源を奪う国」と描く。第三に、「COVIDプランデミック」説。パンデミックを「世界エリートによる支配計画」とし、ワクチンを監視チップとして扱う。第四に、「ウクライナは敵」という主張で、少数民族政策や領土問題を誇張し、ウクライナ難民への敵意と結びつける。

 これらのナラティブは互いに関連し、共通して「西欧=支配者」「ロシア=伝統」「EU=抑圧者」という二項対立の枠組みを形成している。報告書は、この連鎖が単なる虚偽情報ではなく、国民の自己像を再構築する政治言語として作用している点を強調している。偽情報は社会の周縁的現象ではなく、国家の自己表象を支える構造要素になりつつある。


独立メディアと教育分野の対抗構造

 偽情報に対抗する試みとして、報告書は複数の組織を挙げている。Factual.ro(Funky Citizens)やVeridicaはファクトチェック専門サイトとして継続的に検証を行い、InfoRadar(国防省運営)は安全保障関連の誤情報を分析している。AntifakeやMisreportは週次ニュースレターの形式で主要な偽情報をまとめており、CJI(Center for Independent Journalism)やMediawiseは教師・学生・図書館員向けのリテラシー教育を展開している。また、ContextやPressOne、Capturaなどの独立メディアが、政治資金の不透明性や親露ネットワークを調査報道によって明らかにしている。

 一方で、これらの取り組みは資金・人員の不足に直面しており、国家レベルの支援は限定的である。報告書は、メディア所有構造の不透明さと広告依存が独立性を損なっていると指摘する。事実検証の成果が政治的分断を超えて共有されないこと、そして対抗メディア自体が「外資の代弁者」と攻撃される現状が、情報環境の改善を妨げている。偽情報対策の努力は存在しても、政治経済的な構造要因にはまだ十分に届いていない。


法制度と統治の不均衡

 ルーマニアの法制度は、偽情報を統制する枠組みを持ちながらも実効性に乏しい。刑法404条は「国家安全を脅かす虚偽情報の流布」を刑事罰とするが、適用例はほとんどない。政府は2021年に「国家戦略的コミュニケーション・偽情報対策戦略」を策定し、2025年にはAIによる監視を含む新法案を提出した。しかし、技術的根拠の不透明さと表現の自由への影響が批判を呼んだ。監督機関のANCOM(通信庁)とCNA(視聴覚評議会)は、EUデジタルサービス法(DSA)の国内実施を担当しているが、SNS投稿の削除要請をめぐって越権との批判と放任への非難が併存している。

 報告書は、この状態を「無規制と過剰規制の振り子」と表現している。偽情報への懸念が強まる一方で、対策の名目のもとに新たな検閲メカニズムが制度化されつつある。政治的圧力と行政監視が結びつくことで、偽情報対策が逆に報道の自由を損なう危険をはらんでいる。


偽情報の制度化と社会的影響

 Cucuは結論部で、ルーマニアにおける偽情報を「制度化された現象」と位置づけている。ここでの「制度化」とは、偽情報が国家と社会の双方に組み込まれ、政治的資源として再生産される過程を指す。政党は動員のために虚偽情報を利用し、宗教機関はそれを道徳的正義として再解釈し、メディアは視聴率と広告収入を目的に再拡散する。政府はこの循環を抑制しようと規制を強化するが、その過程で表現の自由を制約し、結果的に不信を拡大させる。このサイクルが偽情報と検閲の同時制度化を生み出している。報告書は、問題の核心を「国家の情報統治能力の欠如」ではなく、「統治の一部として偽情報を利用してしまう政治文化」に見出している。


ヨーロッパ全体への示唆

 ルーマニアの事例は、地域的特異性にとどまらない。AI生成コンテンツの普及、ポピュリズムと文化戦争の結合、メディア信頼の低下、そして規制による監視強化は、他のEU諸国でも進行している。報告書は、ルーマニアを「情報秩序の臨界点」として捉え、偽情報が民主主義の制度疲労を可視化するケーススタディと位置づける。対策の焦点を規制や削除に置くのではなく、透明性・説明責任・市民的信頼の再構築に移すべきだというのが著者らの主張である。偽情報対策が自由な討議空間を犠牲にしてはならないという原則は、EU全体に共通する課題であり、ルーマニアの経験はその警鐘となっている。

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