モルドバのTikTokを覆う「情報戦インフラ」──Context/FACTプロジェクト報告書

モルドバのTikTokを覆う「情報戦インフラ」──Context/FACTプロジェクト報告書 民主主義

 モルドバで2025年9月に行われた議会選挙を前に、TikTok上では異常なほどの偽情報が溢れた。Context/FACTプロジェクトが発表した報告書「Infrastructure of an Informational War」は、この短期間の流れを詳細に追跡し、情報戦が単なるデマの拡散ではなく、情報空間そのものを覆う仕組みとして動いていることを数字と事例で示している。


三週間で1億近い視聴数

 分析対象となったのは9月1日から23日の三週間。TikTokに投稿された動画は 9,882本。総視聴数は 9,310万回に達し、シェア20.4万回、いいね150万回という規模を記録した。人口230万人の国で、一人あたり40回以上視聴された計算になる。日常生活の情報空間そのものが、政治的な言葉で絶えず上書きされていた。


AI生成アカウントとコピーコメント

 調査で特定されたAI生成アカウントは 93件。ルーマニア語やロシア語で自然に話す人物を装い、サンドゥ政権や与党PASへの不信を繰り返し発信した。

 コメント欄の解析結果も鮮烈だ。収集した1万件のコメントのうち 34%(3,442件)がコピー。同じ文言や絵文字の並びが延々と繰り返され、賛否の応酬があるはずの場が「同調の壁」と化していた。AIアカウントのコメントは完全に一方向に揃い、他の声を物理的に押し潰す形で可視化されていた。


拡散が跳ねる瞬間

 情報の流れは一様ではなく、ある事件を契機に一気に跳ね上がる瞬間がある。報告書はその「バイラル化の局面」を具体的に追っている。

  • 9月3日
    癌患者の死去と妻への罰金をめぐる事件が映像化され、政府による庶民への弾圧の物語に転換された。「政府は弱者を罰する」「正義は存在しない」というフレーズが繰り返され、他の事件と接続されていった。
  • 9月12日
    近隣住民によるフェンス違法建設の映像が拡散。「特権層は処罰されない」「野党の支持者だけが標的にされる」といった文言で再編集され、制度的迫害の寓話として拡大した。
  • 9月19日
    親露派の「愛国ブロック」を支持する動画が 100万再生を突破。「伝統的価値を守れ」「サンドゥは偽物の大統領だ」といったスローガンがコメント欄に繰り返され、大衆支持の錯覚が形成された。

テーマの分布と典型的レッテル

 クラスタリング分析で明らかになったテーマは次の通り。

  • 地方行政(20.4%)
    「道路は修復されず、金はどこへ消えた?」「地方を見捨てる政府」といった動画が繰り返された。粗悪な舗装や継ぎ接ぎ補修の映像は、「PAS政権は腐敗している」と結びつけられた。
  • 政治アクター(20.1%)
    EU首脳の発言やサンドゥの演説が「欧州は与党の代理人だ」と読み替えられる。コメント欄には「サンドゥは欧州の操り人形」「偽物の大統領」といった言葉が集中。
  • 選挙プロセス(18.7%)
    「投票はすでに盗まれている」「国外票は不正の温床」といったメッセージが支配的だった。なかには「ルーマニア軍が沿ドニエストル侵攻を計画している」とする陰謀論まで加わった。
  • 経済・エネルギー(14.6%)
    「PASが勝てば工場はすべて閉鎖」「欧州統合で国は破産する」といった短いフレーズが繰り返し投入され、生活不安と統合反対が結び付けられた。
  • 安全保障・戦争(12.3%)
    「中立は失われ、西側の駒にされる」「サンドゥは国を戦争に引きずり込む」といった映像が広がった。NATO演習や対露制裁が題材に使われ、「主権喪失」の恐怖が煽られた。

 このように、テーマごとに決まったレッテルやフレーズが繰り返し使われ、量的な圧力で社会の記憶に刻み込まれていった。


コメント欄の性質から見える運用主体

 報告書はコメント欄の特徴を比較することで、背後にいる運用主体の違いを読み解いている。

  • AI生成アカウントではコメントは完全に反PASに統一され、矛盾や揺らぎが見られない。これはボット的な自動投稿の可能性を示す。
  • リポスト型アカウントでは賛否が混じり、自然な議論の痕跡が残る。小規模なマーケティング業者や個人運用の痕跡と考えられる。

 こうした差異を数的に示す点は、従来の「怪しい活動」という抽象的記述とは異なり、操作の多層構造を具体的に浮かび上がらせている。


「量の圧力」と心理効果

 報告書の核心は、情報工作の目的を「量の圧力」として描き出す点にある。「選挙は不正」「EUは破滅」「中立は失われる」──真偽ではなく、繰り返し耳にすることそのものが現実味を帯びる。コピーコメントで埋められた画面、AIアバターが語る同じフレーズ、日常的な不満を政治に接続する短い動画。これらが積み重なり、社会に恒常的な不安と制度不信を刷り込んでいく。


調査手法と限界の明示

 分析はFACToryを基盤に、ExolytやApifyを用いてデータ収集し、音声は自動書き起こしで処理された。トピック抽出はBERTopicで行い、最終的に人手でラベル付けされた。アルゴリズムや前処理の条件に依存する点、プラットフォームの削除や移動によって全体を捕捉できない点など、限界についても報告書は明記している。こうした透明性自体が、数字の説得力を補強している。


結び

 「Infrastructure of an Informational War」が描き出すのは、モルドバのTikTok空間における 恒常的な情報戦インフラの姿だ。三週間で1億回近い視聴、AI生成アカウントの集中、コピーコメントによる塗りつぶし、そして生活不満を政治不信へと接続する短い寓話。

 小国の事例であるがゆえに全体像が捉えやすく、そこで観測される「量の圧力」は、他の社会でも同じ構造で現れる可能性がある。報告書は、選挙期を超えて続く制度不信の常態化を、数字と具体的な挙動の記録で鮮明に示している。

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