2025年10月3日と4日、チェコ共和国では下院200議席をめぐる選挙が実施される。欧州の専門ネットワークがまとめた「Czechia: Country Election Risk Assessment | FIMI Response Team Report」は、この選挙を前に制度・社会・情報空間の強みと脆弱性を総点検し、さらに外国勢力による情報操作(FIMI: Foreign Information Manipulation and Interference)の手口を丹念に記録している。レポートの焦点は、制度の透明性そのものは高いにもかかわらず、「制度を信じるな」という物語が繰り返し流されているという矛盾にある。
制度の強みと新しい導入
チェコの選挙制度は紙票を基本とし、投票所には政党推薦の市民委員が配置される。開票は手作業で行われ、票は保存されるため、再集計が可能である。こうした構造は電子投票システムに比べて堅牢で、報告書も制度的な強みとして評価している。
ただし2025年には二つの新制度が導入された。第一は在外郵便投票である。国外在住の約60万人のチェコ人に投票の機会を広げたが、登録者は24,206人にとどまり、当初想定の8万人を下回った。利便性の向上を狙った改革である一方、野党は「不正の温床」と批判し、国民の六割が不安を表明している。第二はモバイルeID(eDokladovka)で、スマートフォンによる本人確認を可能にした。便利さはあるものの、「政府が監視している」といった誤解が拡散し、偽情報の題材になり得ると報告書は警告する。
政治勢力の断片化
主要政党の支持率はANO(32%)、与党連合SPOLU(21%)、SPD(13%)、STAN(11%)、海賊党(8%)、STAČILO!(6%)、Motorists(4%)とされる。結果として議会は断片化し、選挙後の連立交渉は難航が予想される。報告書は、こうした「安定多数の欠如」がそのまま「制度が機能していない」とする物語の燃料になり得る点を強調している。
情報空間とメディア環境
国民の八割はオンラインでニュースを得ており、国内最大のポータルサイトSeznam.czがゲートウェイの役割を果たす。公共放送チェコ・テレビは最も信頼される媒体で、六割近くが信頼を寄せている。
一方で、ソーシャルメディアの利用も拡大している。Facebookは32%、YouTubeは19%、Instagramは14%、Xは7%、TikTokは16%がニュース源として利用されている。若年層はYouTubeやTikTokに依存する傾向が強い。
特徴的なのは高齢層の情報習慣である。Facebookよりもチェーンメールが重要な情報源となっており、事実上の「影のSNS」として機能している。ここからロシア寄りの物語が拡散し、高齢層に浸透している。さらに、スロバキアの監視プロジェクトがリスト化した320以上の問題サイトは、言語的近接性からチェコでも広く流通している。
社会の脆弱性
政府への信頼は24%に過ぎないが、民主主義そのものへの支持は89%と非常に高い。政治家や政権への不満と制度への信頼が同居している点は、操作の余地を生みやすい。
経済面では、56%が「1年前より生活が苦しい」と回答し、76%が経済・健康・安全に不安を抱えている。具体的な脅威として、イスラム過激主義(55%)、テロ(54%)、不法移民(42%)が挙げられている。さらに、ウクライナ難民受け入れを「過多」とする人は六割に上る。報告書は、これらの数値が不満と不安の三層構造を示しており、操作的ナラティブを受け入れる土壌を形成していると分析している。
操作される物語
報告書は、外国勢力が利用する物語を四つのメタナラティブに整理している。
第一:選挙不正・制度操作
郵便投票や政府操作を巡る疑念は根強い。調査では、ロシア介入を懸念する人は39%、SNSの誤情報を心配する人は78%、郵便投票不正を恐れる人は60%、政府が結果を操作すると信じる人は54%に上る。大統領選挙の中止を示唆する虚報や、大統領の発言を偽造したディープフェイクまで確認されている。
第二:安全保障機関攻撃
憲法裁判所、情報機関BIS、軍のサイバー部隊など「制度を守る番人」が「西側の操り人形」として攻撃されている。軍演習文書を「米国の介入計画」と曲解して報じた事例もあった。
第三:反ウクライナ
pravda-cz.comやcz24.newsは「ウクライナは腐敗国家」「難民は治安の負担」といった言説を繰り返す。2023年のプラハ大学銃撃事件では、犯人を「ウクライナ人」とする虚報が流布し、国民の約二割が接触したとされる。難民を「国民の負担」とする言説が社会的敵意を強めている。
第四:反EU/反西側
ETS改定などの政策が「EU独裁」「国民への重税」と描かれている。EU・NATO支持は高いが、政策不満が強調されることで分断が拡大している。
外国勢力の関与
ロシアはTelegramを基盤にしたneČT24などのネットワークを利用して偽情報を流布する。Czech Pravda Networkはチェコとスロバキアをつなぎ、170万人以上に影響を与えている。さらに、Voice of Europeはプラハを拠点に、ダミー団体や暗号資産を通じて政治家への covert financing を行った事例が報告されている。
中国はロシアほど直接的ではないが、CGTN、孔子学院、TikTokを通じて文化・経済・メディアを組み合わせた漸進的影響を及ぼしている。
戦術の体系化
報告書は、観測された戦術をDISARMフレームに基づいて整理する。虚偽の発言や文書で物語を作り、Telegramチャンネルや問題サイトを資産として確立し、ボットネットや協調的不正行動で拡散し、暗号資産やシェル団体で資金を隠しながら持続させる。さらに、インフルエンサーの買収も確認されている。これらは単発ではなく、エコシステムとして継続的に組み合わされている。
制度的対応と課題
報告書は、紙票集計、市民委員の監視、公共放送の信頼といった制度的強みを指摘する一方で、郵便投票をめぐる不信、社会的分断、監督当局ČTÚの人員不足、そしてDSA(デジタルサービス法)の国内法化遅延を課題として挙げる。欧州委員会は遅延を理由にチェコを司法裁判所に付託しており、選挙前に規制が完全に機能する見通しは薄い。司法救済制度はあるが、最高行政裁判所は「結果を左右する大規模な違法行為」の場合に限って介入すると定めているため、偽情報による不信拡大への対抗には限界がある。
結論
報告書の結論は明快だ。チェコの選挙制度は強固で透明だが、新制度導入を口実にした不信、経済や難民をめぐる社会的不安、そして外国勢力の継続的影響工作が、選挙の正統性を揺るがしかねない。ロシアは偽情報と covert financing を駆使し、中国は文化・経済を通じて漸進的に浸透している。
必要なのは、多層的な対策である。第一に、当局が迅速で一貫した広報を行い、疑念を放置しないこと。第二に、市民社会とEUの協力を強め、監視体制を広げること。第三に、プラットフォームが偽情報の増幅を抑え、透明性を高めること。第四に、AIを用いたディープフェイク検知を導入すること。そして最後に、政治資金の透明化を徹底し、シェル団体や暗号資産を使った影響を断つこと。
チェコ総選挙2025は、透明な制度と「制度を信じるな」という操作的物語のせめぎ合いの中で行われる。その闘いがどちらに傾くかが、選挙の正統性を決定づける。
コメント
qn3oep