都市を狙う偽情報:ジェンダー、気候、医療への攻撃とその具体的帰結──『Disinformation in the City Brief #2』を読む

都市を狙う偽情報:ジェンダー、気候、医療への攻撃とその具体的帰結 偽情報の拡散

 「偽情報」はしばしば国家単位の問題として語られるが、その実、もっとも深刻な影響を受けているのは市民の生活に直接関わる都市の現場である。地方行政が提供するのは、医療、住環境、交通、多様性政策といった「日常」に関わる領域であり、それゆえに偽情報はその機能を直接的に麻痺させる武器として使われる。

 メルボルン大学の都市研究チームとドイツ・マーシャル基金が共同でまとめたレポート『Disinformation in the City Brief #2』は、都市が直面する偽情報の実態を、分野別に具体的に描いている。ここではその中から、影響の大きい3領域―ジェンダーと多様性、気候と都市計画、そして医療とワクチン―に焦点を絞って紹介する。


DEIは危険?:「多様性推進」が陰謀にされる構図

 2024年3月、米ボルチモアで起きた大規模な橋崩落事故に関し、「DEI(Diversity, Equity, Inclusion)に配慮して無能な人間を雇ったから橋が落ちた」という言説が一部右派系メディアで拡散された。もちろん事実無根である。だがこのような「多様性=能力不足」というナラティブは、近年の偽情報キャンペーンにおいて繰り返し使われている。

 さらに悪質なのはAI技術を用いたジェンダー攻撃の事例である。2023年、スペイン・アルメンドラレホでは、10代の女子生徒20人の顔を使ってAI生成されたヌード画像がSNS上に拡散された。これは単なる「いじめ」や「悪ふざけ」ではなく、明確な偽情報による人格攻撃であり、現実の都市社会に深刻な傷痕を残した。

 他にも、オーストラリアや米国のいくつかの都市では、LGBTQ+コミュニティ向けのイベント(特に「ドラァグ・ストーリータイム」)が「子どもを狙った性的逸脱行為」といった虚偽の言説により中止に追い込まれている。これらの攻撃は、文化的マイノリティの排除だけでなく、自治体による多様性推進政策そのものを萎縮させる効果を持つ。


「15分都市」は監視体制か? 気候政策への陰謀論的攻撃

 都市計画の分野では、「15分都市」構想が激しい偽情報の標的となっている。この構想は、生活に必要な施設をすべて徒歩15分圏内に配置することで、持続可能な都市を目指す政策だ。しかし、SNSでは「気候変動対策を口実に、市民の移動を制限しようとしている」「このままでは都市が“屋外刑務所”になる」といった陰謀論が出回った。

 英国では、このような陰謀論が議会にまで影響を及ぼし、歩行者・自転車優先の都市計画が中止・縮小に追い込まれる事態が発生している。都市のサステナビリティを高めるはずの政策が、「自由を奪う装置」として描かれることで、政治的な後退が起きている。

 EU DisinfoLabが指摘するように、気候偽情報にはいくつかの典型的なパターンがある。「気候アラーム主義 vs. 現実主義」という二項対立を作り出し、科学者や環境保護活動家を「過剰反応するパニック屋」として揶揄する手法が多く使われる。さらに、気候政策を「グローバルエリートによる技術支配」と結びつける物語も根強く存在している。


ワクチンは危険? 医療と信頼への攻撃

 2019年にはウクライナ、サモア、フィリピン、カザフスタン、ジョージアなどで麻疹の大流行があった。共通していたのは、反ワクチン偽情報によって予防接種の率が低下していたことだ。たとえば「ワクチンは自閉症を引き起こす」といった、すでに否定されている説が未だに信じられ、多くの親が子どもへの接種を拒否した。

 COVID-19パンデミック時にはさらに激しい情報戦が展開された。「ウイルスはビル・ゲイツが世界人口削減のために開発した」「消毒液を飲めば感染しない」といった明白な虚偽が出回り、実際に米国の毒物センターへの通報件数が急増した。また、感染症専門家や医師が暴力や脅迫の標的になるケースも多数報告されている。

 都市の医療行政は、予防接種、医療サービスの提供、福祉政策など、偽情報の影響を受けやすい領域を多数抱えている。そのため、科学的根拠への信頼が崩れると、政策そのものが機能しなくなる。しかも、こうした攻撃は高齢者や移民など、もともと不信感を抱きやすい人々に向けて精密に投下されている。


なぜ都市が狙われるのか

 レポートでは、都市が偽情報の主戦場となる理由を以下のように整理している。

  • 地方自治体は住民と物理的にも制度的にも近く、「アクセス可能なターゲット」である
  • 地元の選挙は国政と比べて中立的な関心層が多く、偽情報による意見操作が効果的
  • 高密度で多様な都市社会は、分断や疑念を拡大しやすい構造を持っている

 さらに、偽情報はしばしば複数のテーマをまたぐ。たとえば、「DEI政策によって無能な職員が起用された」という偽情報は、人種差別・ジェンダー攻撃・制度不信・インフラ不安という複数のナラティブを束ねている。このように、偽情報は単発の「嘘」ではなく、都市構造そのものに亀裂を入れる構造的攻撃になっている。


終わりに

 『Disinformation in the City Brief #2』は、抽象的な「偽情報」論ではなく、都市という具体的な空間と制度における被害を、実例と共に描いている点で重要である。それは単なるメディアリテラシーの話ではない。ジェンダー政策が機能しなくなる、気候対策が頓挫する、医療現場が麻痺する――こうした被害が現に起きている。偽情報の問題を都市政策と切り離して考えることはもはやできない。

 次の論点は、「では都市はどう対応すべきか」だろう。だがその前提として、まずは「何が起きているのか」を具体的に知ること。このレポートはその起点として機能する。おすすめである。

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