ICFJ(国際ジャーナリストセンター)は2025年3月18日、ブラジルにおける誤情報対策の現状と報道機関の取り組みを詳細に記録したレポート『Disarming Disinformation | Brazil』を発表した。これは米国、南アフリカ、フィリピン、ジョージアとともに5カ国で実施された国際比較研究の一環であり、ブラジルはその中でも特に“誤情報の渦中”にある国として精緻に分析されている。
本稿では、報告書の中心的な論点、そして誤情報と報道の関係をめぐる示唆に富んだ視座を紹介する。
政治的誤情報と暴力:ボルソナロ政権の遺産
レポートが描くのは、ブラジルにおいて誤情報が単なる「情報問題」ではなく、制度的危機と結びついているという現実だ。ボルソナロ前大統領とその周囲は、2022年の選挙結果を否定し、選挙制度への不信を煽る誤情報を組織的に流布。2023年1月には支持者による連邦議会襲撃事件が発生し、その背景に「ディスインフォメーション班」と呼ばれるグループの存在があったことが確認されている。
また、報道機関や記者への暴力的攻撃も、誤情報を媒介として組織的に行われた。たとえばFolha de S. Pauloの記者パトリシア・カンポス・メロは、政権批判記事を契機に性的中傷とデマキャンペーンの標的となった。
二つの報道機関の対照的戦略:FolhaとTapajós de Fato
このレポートの大きな特徴は、全国紙「Folha de S. Paulo」とアマゾン地域の非営利メディア「Tapajós de Fato」という対照的な二つの報道機関に焦点を当てている点にある。
Folha de S. Paulo:
- 都市部に拠点を持つ大手紙。誤情報対策として、AIやデジタル・フォレンジック企業との連携を進める。
- 「中立」や「両論併記」から脱却し、「嘘を嘘と呼ぶ」新たな編集方針を導入。
- Big Tech企業に対するプラットフォーム責任の追及も積極的に行う。
Tapajós de Fato:
- アマゾン地域の伝統的共同体に根ざした草の根メディア。
- ネット未接続地域に向け、USBメモリやコミュニティラジオで情報発信。
- 誤情報の「事実検証」よりも、住民の体験や知覚を起点とした“深い聞き取り”を重視。
両者はまったく異なるリソースとアプローチを持ちながらも、情報環境の汚染に対して「伝える」だけでなく「信頼を回復する」ことを重視する点で共通している。
誤情報対策の“罠”:倫理、信頼、そして資金源
レポートが重要視するのは、誤情報対策そのものが新たな倫理的ジレンマを孕むという点である。たとえばFolhaのファクトチェック事業「Checamos」はPhilip Morris社の資金を受けており、これは「健康に関する誤情報を過去に拡散してきた企業が、ファクトチェックを支援する」状況を生み出している。
レポートでは、こうした“毒入りの連携”は報道機関の信頼性そのものを損なう可能性があると指摘されている。
世論調査から見える“認知ギャップ”
レポートは、1003人を対象とした全国調査も実施している。その結果、以下のような傾向が明らかになった。
- 58%が「誤情報への強い懸念」を表明。
- 65%が「政治家による記者への攻撃はメディア自由への重大な脅威」と回答。
- 一方で、「Folhaを全く信頼しない」とする人も22%。報道機関への信頼は大きく分断されている。
これは、誤情報対策に対する一般市民の支持がある一方で、メディアそのものへの不信や攻撃が根深く存在していることを示している。
結論:報道は“届いていない”のか?
「我々の報道は、届いてほしい人々に届いていない」──これはTapajós de Fatoの記者の言葉である。誤情報対策は、ファクトの提示だけでなく、それが“誰に、どう届くか”を常に問い直す営みでもある。
『Disarming Disinformation | Brazil』は、誤情報と戦う報道機関にとって、単なる事例集ではなく、実践的かつ構造的な問いを投げかけるレポートとなっている。
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