2025年9月に予定されるモルドバ議会選挙を前に、Moldova: Country Election Risk Assessment (CERA)が発表された。報告書は、単なる偽情報の事例集ではない。外国からの情報操作や干渉(FIMI)、暗号資産を使った資金流入、動員アプリによる抗議組織化、国内アクターによる不公正行為、制度改革の進展と限界、市民社会の監視活動など、多層的に絡み合う要素を網羅し、「総合リスクは中〜高」と判定した。重要なのは、これらの要素がそれぞれ独立して存在するのではなく、相互補強しながら選挙の正統性を脅かしている点にある。
政治と社会の分断
モルドバ政治は長年、親欧派と親露派の鋭い対立に揺れてきた。与党PASとサンドゥ大統領はEU統合を最優先課題とし、2022年にはEU候補国地位を獲得、2024年には加盟交渉を開始した。こうした親欧路線は西側からの支援を引き寄せる一方で、ロシアや親露派にとっては脅威であり、干渉の強い動機となっている。
一方で国内の親露派勢力、特に社会党(PSRM)や逃亡中の寡頭ショルのネットワークは、エネルギー危機やインフレを利用し、抗議活動を組織してきた。市民の最大関心事は生活費と物価上昇であり、経済的困難は反政府・反欧州的な語りが広がる肥沃な土壌となっている。
情報環境の二重構造
報告書は、モルドバの情報環境を「テレビとオンラインの二重構造」として描いている。テレビは依然として最も信頼されるメディアであり、国民の多くに影響を与え続けている。特に高齢層ではテレビが政治的認識の基盤だ。
しかし同時に、国民の95%がオンラインを利用しており、Facebookがニュース流入の主要な窓口になっている。TelegramやTikTokは、短期間で抗議活動を動員するのに用いられ、若年層の政治参加に大きな役割を果たす。こうして伝統メディアとソーシャルメディアが併存することで、情報空間はより複雑かつ制御困難なものとなっている。
偽情報戦術の進化
2023年までは、有償動員が中心的な干渉手法だった。現金や物資を与えて抗議活動に参加させるという古典的なやり方だ。しかし2025年にかけて、戦術は急速に進化した。
- 偽造書簡
官庁やEU機関を装った文書が大量に出回り、徴兵制度や農業補助金に関する不安を煽った。公式文書に見せかけることで、市民の信頼を直接突き崩す狙いがある。 - Cameo動画の改変
米国著名人に依頼して作られた個人的動画が、意図的に誤訳され、親露的メッセージに仕立て直された。こうした動画はSNSで拡散され、視覚的・感情的なインパクトを伴って広がった。 - HaiTVの再浮上
かつて閉鎖されたテレビ局がストリーミング配信という新しい形で復活し、規制を回避しながら親露的な情報を流した。既存の規制枠組みを迂回する巧妙なやり方である。 - 協調的非真正行為(CIB)ネットワーク
2024年10月には、中央ポータルとSNSアカウント群を組み合わせた大規模ネットワークが摘発された。反EU的なナラティブが自動的かつ組織的に拡散されていた。
これらの手法は、単発のデマではなく、戦略的で多面的な作戦の一部として展開されている。
ナラティブの構造と機能
報告書は、選挙干渉に使われる語りを「メタ・ナラティブ」と「サブ・ナラティブ」に分けて分析している。
- メタ・ナラティブ:反EU、反西側、親露、反エスタブリッシュメント。
- サブ・ナラティブ:「EU加盟は主権喪失を招く」「国外在住者投票は不当」「選挙買収はどこでもある」「親露候補は迫害されている」など。
これらはP.E.N.A.モデル(推奨・言い訳・正常化・告発)で理解される。親露的立場を推奨し、自陣の不正を言い訳し、腐敗や買収を正常化し、政府や西側を告発する。特に「買収は世界中で当たり前」という言説は、社会的に不正を許容させる強い力を持ち、選挙の正統性を掘り崩す。
資金と動員の仕組み
報告書は資金流と動員の仕組みにも焦点を当てる。
- ロシア金融機関経由の資金流
制裁下のPromsvyazbankやMIRを経由して、外国から資金が流入している。こうした資金は抗議活動や選挙操作に使われ、国内の汚職と結びつく。 - Taitoアプリ
参加者の行動を記録し、拡散や参加の成果に応じて段階的に報酬を支払う。ペナルティ機能も備え、参加者を拘束する仕組みを持つ。デジタル技術による動員の制度化といえる。 - 暗号資産の利用
新設の取引所を通じて匿名で資金が移動し、100百万ユーロ規模の流入が懸念されている。透明性を回避した資金流は、監督当局の検知を困難にする。
こうした仕組みは、単なる買収ではなく、外国アクターと国内アクターが結びついた構造的な問題となっている。
制度改革とその限界
モルドバ政府は制度的対応を進めている。2025年7月には放送法(CSMA)が改正され、EUの放送サービス指令(AVMSD)の要素が導入された。ここでは「偽情報」の定義が法的に明文化され、違法コンテンツ通報に対して最長5営業日で対応する迅速条項が設けられた。また、EU非加盟国制作のニュース番組を禁止できる権限が与えられ、ロシア国営メディアを排除する仕組みが整った。
さらに2025年4月には、選挙腐敗と違法資金の刑罰が強化され、CECは親露系ブロック「Moldova Mare」の登録を拒否した。
しかし、Audiovisual Councilなど監督当局は人員や予算不足に悩まされ、規制の実効性は限られる。政治広告やインフルエンサー広告の透明性、越境スポンサーの監視といった分野では、大きな課題が残っている。
市民社会と国際的支援
市民社会の活動も重要だ。WatchDog.MDは偽情報の監視を行い、Promo-LEXは選挙監視員を全国に配置して不正を監視する。IMSのM-MIINDプラットフォームは2024年に始動し、NDIやEUサイバー即応チームも支援を行った。
しかし、市民社会は資金基盤や法的保護が弱く、持続的に活動するのは難しい。監視の網を広げる努力は進んでいるが、国際的プラットフォームの協力も不安定であり、十分な抑止力を発揮できているとは言いがたい。
優先インテリジェンス要求(PIRs)
報告書は、選挙を守るために監視すべき重点領域を明確にしている。
- ナラティブ監視
「迫害被害者としての親露候補」「買収の正常化」「国外在住者投票の否認」「親EU系NGOの陰謀化」など、選挙正統性を脅かす語りが最優先で監視されるべきとされる。これらは結果受容を拒否する口実になりやすい。 - 新戦術の検知
AI生成コンテンツやディープフェイク、協調的非真正行為(CIB)などは従来の手法では検知が難しい。自動化された拡散をいち早く発見し、対処する能力が求められる。 - 資金流とスポンサー追跡
暗号資産を使った匿名取引や制裁回避のスキームは、抗議活動や買収に資金を供給する。資金経路を特定し、流入を阻止することが不可欠だ。 - 制度改革の実効性監視
法改正は進んでいるが、実際に執行されるかどうかは別問題である。Audiovisual CouncilやCECが十分な能力を発揮できるかどうか、継続的な監視が必要とされる。
上記で整理された領域は、いずれも「なぜ必要か」が具体的に説明されている。つまり、ナラティブは正統性を直接揺るがし、AI生成物は技術的に検知が困難で、資金流は選挙買収の根幹を支え、制度改革の実効性がなければ規制が空文化する。四つのPIRは選挙の根幹を守る鍵となる。
想定されるシナリオ
報告書は選挙後の展開について、複数のシナリオを描いている。
- ベースラインシナリオ
極化が進み、選挙結果をめぐって激しい正統性争いが発生する。結果そのものは成立するが、受容されるまでに長期間の混乱が続く可能性がある。 - 最悪シナリオ
協調的なハイブリッド攻撃によって、結果が大規模に否認される。抗議が暴力化し、長期的な不安定が生じる。モルドバの制度そのものが弱体化し、EU統合プロセスに深刻な影響を与える恐れがある。
こうした展開を避けるためには、ナラティブの早期検知、資金流の透明化、プラットフォームとの協働、市民社会の強化、ディアスポラ票の信頼確保、AIを用いたディープフェイク検出といった具体的対応が不可欠だ。報告書は、脅威が単一の領域からではなく、複数の要因が組み合わさって選挙の正統性を攻撃する点を強調している。
結語
モルドバ議会選挙をめぐるリスク評価は、偽情報が資金の仕組みや制度的脆弱性と結びつき、社会的信頼を多層的に侵食することを示している。制度改革や国際的支援、市民社会の努力は進んでいるが、監督当局の能力不足や資金流の匿名化といった課題は解決されていない。
この報告書は、モルドバだけでなく他の民主国家にとっても教訓となる。選挙干渉はもはやデマ拡散だけの問題ではなく、資金・制度・社会不信を組み合わせた複合的な作戦として現れている。モルドバの事例は、その最前線を映し出している。
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