公共メディアはどこまで政治に侵されているのか──RSF報告書が描く欧州の現実

公共メディアはどこまで政治に侵されているのか──RSF報告書が描く欧州の現実 言論の自由

 2025年8月、EU全域で「欧州メディア自由法(EMFA)」が施行される。その第5条は、公共メディアに対して「編集上および運営上の独立性」を法的に保障するものであり、これまで抽象的に語られてきた「独立」の要件に、具体的な制度的基準を与える画期的な内容を含んでいる。国境なき記者団(RSF)が発表したレポート『PRESSURE ON PUBLIC MEDIA』は、このEMFA発効を目前に控えた欧州各国において、公共メディアがどのような圧力に晒されてきたかを詳細に描き出している。

法的独立性はある──だが実態は「orbanisation」

 報告書がまず明らかにしているのは、法制度としての「独立性」が存在していても、それが実効的に機能していない国が数多く存在するということだ。たとえばギリシャでは、公共放送を監督する国家機関が実質的に内閣広報官の管理下にあり、明白な利益相反が放置されている。イタリアでは、RAIの番組改編や司会者の更迭が、政府批判を避けるために行われている。こうした現象は、RSFが「オルバン化(orbanisation)」と呼ぶ政治支配の兆候として分析されており、公共メディアが政権の言論装置に変質していく過程が可視化されている。

財政という名の兵糧攻め

 もうひとつの焦点は「資金」である。公共メディアの財政的独立は、編集の自由を担保するための前提条件だが、多くの国ではライセンス料の廃止や国家予算からの不透明な支出に切り替えられており、そのたびに政治的交渉の余地が広がっている。フランスでは2022年にライセンス料がVAT(付加価値税)による一部充当に置き換えられ、2025年には2,390万ユーロの削減が実施された。スロバキアでは、GDP比率に連動する財源制度が導入されたが、その直後に政権が比率を引き下げ、旧制度より30%の削減となった。制度的には一見合理的でも、運用で容易に骨抜きにされる現実が浮かび上がる。

解体、検閲、私物化──制度の空洞化がもたらすもの

 報告書は、公共メディアが制度として解体され、あるいは中から政治的に私物化される様々なケースを紹介している。

  • ハンガリーでは、2010年に公共放送がMTVAという国営メディアに再編され、1,600人の記者が一斉解雇され政府方針に忠実なスタッフに置き換えられた。
  • スロバキアでは、RTVSが廃止されてSTVRが新設され、文化省幹部であり地球平面説支持者でもある人物が監督委員会副代表に任命された。
  • イタリアでは、反ファシズム作家の記念スピーチが放送直前に打ち切られ、司会者が「忠誠義務違反」で停職処分を受けている。
  • リヒテンシュタインでは、公共ラジオ局の存廃を問う住民投票が行われ、廃止が決定。2025年4月に放送が終了した。

 こうした事例は、必ずしも制度の表面上の変化を伴わない場合も多い。むしろ、構造を維持しながら中身だけを入れ替える「構造的占拠」が進行している。

信頼の回復は可能か

 一方で、公共メディアに対する信頼の水準は依然として高い国も存在する。ドイツ、アイルランド、ポルトガルなどでは70%超の国民が公共放送を信頼しているとの調査結果が示されており、逆に信頼が急落している国(ハンガリー、ポーランド、オーストリアなど)とのコントラストが鮮明になっている。

 RSFは、こうした信頼を制度的に支える手段として「JTI(Journalism Trust Initiative)」認証制度を提示している。これは報道内容ではなく、編集体制や収益構造、倫理規程の有無など、メディアのガバナンスを透明化する国際基準であり、既に欧州の公共放送11団体が取得済みだという。

政治的中立と公共性は両立できるか

 報告書の最後では、12の政策提言が示されている。その多くは、政治的監督と独立性の間に制度的「防火壁」を設けること、予算を複数年で固定すること、監督委員の任命に市民社会の参加を認めることなど、「制度設計」の問題として整理されている。

 「公共メディアの独立性」という概念が、もはや倫理や理念の問題ではなく、制度工学的な問題として扱われている点に、この報告書の重要性がある。報道の自由は情緒では守れない。制度として守る以外に道はない。

コメント

  1. 1WIN より:
タイトルとURLをコピーしました