報告177件、行動87件——EDMOアイルランドが検証した大統領選挙における「迅速対応システム」の実効性

報告177件、行動87件——EDMOアイルランドが検証した大統領選挙における「迅速対応システム」の実効性 民主主義

 本稿が扱うのは、EDMOアイルランド(EDMO Ireland)が2026年8月に公表した報告書『Are Tech Companies Meeting Obligations to Protect Elections? Evidence from Ireland’s Presidential Election』である。著者はEDMOアイルランドの研究・政策リードであるエイダン・オブライエン(Aidan O’Brien)と、同組織のコーディネーターでダブリン市立大学(DCU)准教授のアイリーン・カロティ(Dr Eileen Culloty)。EDMOアイルランドは、欧州デジタルメディア観測所(European Digital Media Observatory、EDMO)を構成する14のハブのひとつであり、DCUのInstitute for Media, Democracy, and Society、ファクトチェック団体TheJournal FactCheck、ソーシャルリスニング企業NewsWhipの三者から成る。EDMO自体は2020年にEUの取り組みとして設立され、偽情報研究の推進、ファクトチェックの支援、メディアリテラシー支援、そしてEU「偽情報に関する行動規範(Code of Conduct on Disinformation)」の実施状況の検証を任務としており、ネットワーク全体でEUおよびEEAの27か国に及ぶ。

 本報告書が検証対象とするのは、2025年10月にアイルランドで実施された大統領選挙において、EU「偽情報に関する行動規範」の署名企業が運用する「迅速対応システム(Rapid Response System、RRS)」の実際の機能である。RRSは2024年の欧州議会選挙を前に行動規範の署名企業によって初めて設けられた枠組みで、選挙期間中に監視団体が「脅威と見なすコンテンツ・アカウント・トレンド」を時限的にプラットフォームへ通報し、各社の方針に照らした対応を協議する仕組みだと定義される。アイルランド大統領選挙以前にも、2024年欧州議会選挙、およびフランス・ルーマニア・ドイツ・ポーランド・ポルトガル・チェコの各国選挙で運用されてきた。本報告書は、この制度化されつつある仕組みが、実際にどれだけの通報を処理し、どれだけの通報に対して行動を伴ったかを、177件という具体的な件数と行動の有無まで一件ごとに遡って検証した点に価値がある。単なる「プラットフォームは対応が不十分だ」という一般論ではなく、通報件数・行動件数・対応時間・行動の一貫性という定量データと、個々の投稿の具体例を突き合わせることで、EUのデジタルサービス法(Digital Services Act、DSA)が求める水準とプラットフォームの利用規約が実際にカバーする範囲との間の構造的な乖離を可視化している。

選挙の政治的背景——脱退候補の主導した「投票棄権」運動とAI偽動画

 RRSの運用実態を理解する前提として、2025年アイルランド大統領選挙をめぐる緊張の背景を押さえておく必要がある。選挙の数か月前には、副首相(タナシー)とその家族が深刻なオンライン・オフライン双方の脅迫の対象となり、アイルランドのデジタルサービス調整官であるコイミシューン・ナ・メアン(Coimisiún na Meán)が、2024年の選挙における候補者へのオンライン嫌がらせに関する報告書を公表するなど、選挙関係者への攻撃はすでに社会問題として認識されていた。選挙戦を通じては、大きな国内外のフォロワーを抱える著名人コナー・マクレガーが、自身が大統領選への候補者指名を得られなかったことを「民主主義とアイルランド国民の意思への裏切り」であるとする語りを展開し、彼の撤退後もこの語りの一部が他の指名失敗候補によって程度の差こそあれ引き継がれた。この語りの延長線上には、有権者に投票用紙を無効票にする(spoil the vote)よう促す運動があり、無効票の投票そのものは正当な政治的抗議であり民主的参加の一形態であるにもかかわらず、一部ではこれが指名プロセスの正当性、ひいては選挙制度そのものの正当性に関する虚偽の主張を伴っていたと報告書は指摘する。

 選挙戦序盤には、ある候補者に対する組織的な中傷キャンペーンがオンライン上の特定の主体に遡って特定され、一部プラットフォームとの法的なやり取りにまで発展した。選挙戦最終週には、有力候補が選挙戦から撤退すると偽って表明するAI生成動画が出回り、投票日当日には、女性選挙運動員への暴行を装った動画(要職にあった政治家を含む)が拡散し、その後一人の男性が逮捕される事態に至っている。こうした一連の出来事が、プラットフォームに対して高い水準の警戒と即応性を求める明確な状況を作り出していたことが、報告書全体の前提として置かれている。

迅速対応システムの制度設計——参加企業と通報の実務

 アイルランド大統領選挙において、RRSに参加したのはマイクロソフト(LinkedIn)、メタ(InstagramおよびFacebook)、アルファベット/グーグル(YouTube)、TikTokの4社であり、いずれもEU「偽情報に関する行動規範」の署名企業である。なお、Xは2023年に同行動規範から離脱しておりRRSには参加していない。RRSは投票の1か月前(9月29日)に稼働を開始し、選挙後1週間(11月4日)まで継続した。この期間、各社は通報経路を提供しており、メタは公式苦情ポータルを、TikTokは安全報告ツールプラットフォームを提供し、YouTubeとLinkedInは特定の担当者への直接報告という形をとった。欧州委員会が仲介する形でオンライン会議が4回開催され、プラットフォーム側の意思決定プロセスを確認する機会となったが、報告書はここで重要な限界を明記している。EDMOが通報できるのはあくまで各プラットフォーム自身の利用規約に違反すると見られるコンテンツに限られ、プラットフォーム側には通報された内容に対して何らかの行動をとる義務は一切課されていない。

 通報対象の特定にあたっては、NewsWhipのダッシュボードを用いた複数プラットフォーム横断の監視に加え、TheJournal FactCheckからの報告、Hope and Courage Collectiveを含む市民社会団体の専門調査員からの情報提供という、協働的でエスノグラフィックな手法が採られた。もっとも、この手法には構造的な限界も伴う。非公開のFacebookグループ内のコンテンツは監視員がグループに参加しない限りアクセスできず、監視対象として認識されていない小規模なコミュニティの投稿を把握することも難しい。報告書自身が、包括的なプラットフォームデータへのアクセスを欠く以上、オンラインコンテンツの監視は必然的に不完全なプロセスであると認めている。この限界を踏まえたうえで、最終的に174件が選挙の公正性を守るという各社の方針・公約への潜在的な違反として通報され(当初175件のうち1件は選挙の範疇外と判断され事後に除外)、これに事後の分析で3件が加わり、合計177件が本報告書の集計対象となっている。

利用規約とデジタルサービス法の乖離

 EDMOアイルランドは通報作業に先立ち、選挙の公正性・偽情報・AI生成コンテンツ・政治広告・組織的な操作・嫌がらせ・暴力・有害コンテンツの収益化/増幅の各項目について、4社の利用規約を体系的に精査している。その結果として報告書が指摘するのは、DSAが求める広範な適用範囲と、プラットフォーム自身の規約が実際にカバーする狭い範囲との間の明確な断絶である。4社とも選挙・市民的プロセスに関する規約を持ち、禁止コンテンツの例と違反時の措置を定めてはいるものの、その具体例はほぼ一貫して投票場所・投票資格・投票参加への妨害といった、投票の実務に関する虚偽情報に集中している。一方でDSA第34条・第35条が求める水準は、これよりはるかに広い。信頼できる情報への市民のアクセス確保、偽情報や誤解を招くコンテンツの増幅の防止、組織的操作やアルゴリズムによる有害コンテンツの増幅の防止、選挙前・選挙中・選挙後を通じた比例的かつ実効的なリスク軽減措置の維持、女性やマイノリティを標的とすることが多い組織的な嫌がらせキャンペーンへの対処、なりすまし、有権者を欺くために設計された合成メディアの流通に対する防止措置までもが、DSAが定める「システミックリスク」の射程に含まれている。AI生成コンテンツについても同様の非対称が見られ、4社の規約はいずれもコンテンツの作成者自身にAI生成である旨のラベル付けを求める建て付けになっているのに対し、DSAはプラットフォーム自身に「既存の人物・物体・場所に酷似する」生成・改変メディアへの「顕著な表示」の義務を課している。この規約とDSAの射程のずれこそが、報告書が繰り返し立ち返る構造的な論点であり、後述する行動実績のばらつきの背景をなしている。

通報177件の内訳と行動実績——半数にとどまった対応

 RRS期間中に通報された177件の内訳は、選挙関連偽情報85件、違法コンテンツ49件、AI生成選挙コンテンツ26件、嫌がらせ・虐待13件、暴力扇動2件、政治広告関連2件である。通報先別ではFacebookが54件と最多、LinkedInが7件と最少だった。全体として、プラットフォームが何らかの行動をとったのは177件中87件、49パーセントにとどまっている。

種別通報件数(行動件数)LinkedInInstagramFacebookTikTokYouTube
選挙関連偽情報85(13)5(0)11(1)26(0)30(12)13(0)
AI生成選挙偽情報26(13)2(0)3(0)2(0)10(5)9(8)
嫌がらせ・虐待13(9)02(0)3(2)3(3)5(4)
暴力扇動2(2)01(1)001(1)
違法コンテンツ(無効票等)49(49)020(20)21(21)7(7)1(1)
政治広告2(1)002(1)00(0)
合計・行動率177(87)・49%7(0)・0%37(22)・59%54(24)・44%50(27)・54%29(14)・48%

 行動率を種別で見ると、際立ったコントラストが浮かび上がる。無効票の画像・動画という「違法コンテンツ」49件については、報告された全件が例外なく削除ないし地域ブロックされ、行動率は事実上100パーセントに達した。これに対し、選挙関連偽情報85件のうち行動が取られたのはわずか13件であり、行動をとったのはInstagramとTikTokのみで、Meta(Facebook)・YouTube・LinkedInは実質的に何も行動しなかった。プラットフォーム別ではLinkedInが通報7件すべてに無対応、Instagramが59パーセントで最も反応的、TikTokが54パーセントで続き、Facebookは44パーセントにとどまった。対応の速さについては、通報全体はおおむね24時間以内に処理されたが、TikTokが平均6時間で最速、メタが平均8時間で続き、LinkedInは平均約20時間と最も遅く、なかには数日間削除されずに残った通報も少なくなかったと報告書は記す。

個別事例が示す一貫性の欠如

 数値の背後にある個別事例は、行動の有無が単なる「量」の問題ではなく「一貫性」の欠如に起因することを示している。選挙関連偽情報では、ある高等法院判事の発言として捏造された引用がFacebook上で拡散し、大統領候補者指名プロセスの合憲性そのものに疑義を投げかける投稿へと発展した。この虚偽の引用に基づく類似投稿6件がメタに通報され、メタのファクトチェックパートナーであるTheJournalによる実際のファクトチェック記事も併せて提供されたにもかかわらず、メタは繰り返し「規約違反ではない」として行動を拒否し、その理由の詳細な説明もなされなかった。YouTubeについても、通報された13件のうち9件が収益化されたアカウントから投稿されたものであり、選挙が不正操作されている、候補者が立候補を禁じられているといった主張を含んでいたが、YouTubeは13件全件について規約違反に当たらないと判断し行動しなかった。「アイルランド政府が候補者の立候補を禁止した」という主張を含む5件がTikTokに通報された際には、EDMOアイルランドが権威ある情報源に基づく反証情報を添付したにもかかわらず、TikTokは1件のみを削除し、内容がほぼ同一である残り4件については削除せず、その判断基準の違いを説明できなかった。

 AI生成コンテンツをめぐっても類似のばらつきが確認される。選挙投票日の3日前には、国営放送局RTEを装う偽アカウント「RTENewsAI」から、候補者の一人が選挙戦から撤退すると発表する内容のAI生成偽ニュース動画が投稿された。このアカウントは9月初旬から活動していたとみられ、通報を受けたYouTubeは「実在の人物が言っていない・していないことを言った・したかのように見せる」規約に基づき、迅速にアカウントごと停止した一方で、同種の規約に明確に抵触する別のコンテンツはラベル付けのみで削除されずに残存していたことが図示されている。YouTubeはAI生成コンテンツ9件のうち7件に「改変または合成コンテンツ」ラベルを付与し、比較的積極的な対応を見せたが、報告書はこのラベルが透かし(ウォーターマーク)ではなく、動画がダウンロードされ別のプラットフォームで再共有された場合にはラベルごと失われる点、また画面上でのラベル表示自体が動画本体に対して目立たない位置に配置されているケースがある点を具体的に指摘している。TikTokに通報されたAI生成コンテンツ10件のうち削除されたのは5件にとどまり、複数のアイルランド政治家を手錠姿で描くAI生成動画を繰り返し投稿していた特定のアカウントについても、一部動画は削除された一方で同一アカウントによる他の明らかな生成AI動画3件は削除されずに残っていた。

 嫌がらせ・暴力の事例では、2025年9月、ある元政治家がダブリン市内を歩いている際に2人の男性から「裏切り者」と罵倒され、ロックダウンとワクチン政策について詰め寄られる様子を映した動画がTikTokおよびXに投稿された事案が詳述されている。X上のキャプションには「裏切り者の獣どもを二度と街を歩かせるな……お前らの日は近い」という文言が付されており、2人の男性は刑事的嫌がらせの容疑で起訴され、うち1人は別途、庇護希望者を標的にしたオンライン投稿で有罪となり収監されている。この動画は複数プラットフォームで拡散したが、Facebook上でこれを投稿したのは、選挙戦から撤退した別の候補者に対する「悪質な中傷」騒動の渦中にあった認証済みアカウントであった(その候補者は自身と家族に関する虚偽の噂について複数のソーシャルメディア企業に法的な通告を送付している)。メタの「認証済み」バッジは、著名人・ブランド・団体としての本人確認がなされているか、有料のMeta Verifiedサービスの加入者であることを意味するが、報告書はメタとYouTubeがこの動画への通報に対応しなかったことを、被害者の高い公的地位、行為者の経歴、メディアでの報道という状況証拠が揃っていたにもかかわらず対応しなかった事例として明記している。投票日当日の10月24日には、選挙運動員2名と要職の政治家がダブリン市内で選挙運動中に暴行と長時間の嫌がらせ、ホモフォビックな暴言を含む脅迫を受け、加害者男性は逮捕されたが、事前に自ら撮影した動画をSNSに投稿していた。この動画についてはTikTokが削除・アカウント禁止・追加の実質的措置を講じた一方、当初は行動を拒否していたYouTubeとメタも、投票日という状況もあってか、拡散した6つの複製動画については迅速に削除している。

アカウント単位の対応とその実効性の限界

 報告書は、通報されたコンテンツが投稿者アカウントの過去の行状から切り離されて個別に評価される傾向にも注意を促している。YouTubeに通報された9件のうち複数は収益化されたアカウントからの投稿であり、Facebookに通報された項目のなかには過去に違法・有害な行為で既に通報歴のあるアカウントからのものも含まれていた。コンテンツ単位での孤立した評価は、システムとしてのリスク——増幅、拡散、金銭的インセンティブ構造——の把握を困難にする。TikTokはアカウント禁止に最も積極的なプラットフォームであり、規約上は深刻な違反による禁止後の新規アカウント作成や、複数アカウントを用いた違反行為の拡散を制限・禁止すると定めているが、実際には禁止処分がたやすく回避されている実態が確認された。ユーザーはわずかに異なるユーザー名や新規デバイス登録によって、ほぼ即座にアカウントを再作成できる。TikTok自身もこうした回避を防ぐ措置の必要性を認めたが、報告書執筆時点(禁止から半年後)でも、回避を続けている人物のうち2名が同プラットフォーム上で活動を継続していることが確認されている。

政治広告の透明性をめぐる後退

 EUの「政治広告の透明性とターゲティングに関する規則」は、プラットフォームに政治広告のラベル付け、ターゲティングの制限、複数年にわたる検索可能なアーカイブの維持を義務付けている。しかしグーグルは9月22日に、メタは10月1日に、それぞれこの規則の義務を果たす代わりにEU域内での政治広告の受け付け自体を停止するという選択をとった。その運用も一貫性を欠いており、グーグルはハンガリーにおいて自ら宣言した広告停止方針に反して政治広告を受け付けていたことが報告されている。アイルランド大統領選挙の期間についても政治広告への十分なアクセスは確保されておらず、グーグルは政治広告アーカイブそのものを削除し、メタは少なくとも83件の選挙運動広告の記録を削除した。メタに対しては2件の照会が行われている。ひとつは選挙戦撤退候補の広告ライブラリが削除された経緯についてで、メタは技術的な誤りだったとして後に復元した。もうひとつはメタの広告ライブラリの運用実態全般についての照会だったが、RRSプロセスの終盤に提出されたこともあり、報告書執筆時点で回答は得られていない。

結論——制度の土台はできたが、説明責任には程遠い

 報告書は、RRSという枠組みの存在自体を、時間的制約の厳しい選挙期間中に有害となりうるコンテンツを受け付け対応するための構造化された経路を提供するものとして前向きに評価している。しかし同時に、このプロセスがなお発展途上にあることを明確に指摘する。第一の根本的な課題は、プラットフォームの意思決定における一次的な指針である利用規約と、EUの規制枠組みが求めるより広範なシステミックリスクへの対応との間に存在する、持続的な断絶である。RRSは個別コンテンツの通報という形での対応は可能にしているが、この個別事案レベルでの対応と、法制度が想定するシステム全体としての説明責任との間の溝を埋めるには至っていない。第二に、通報を通じて多くの知見が得られたにもかかわらず、プラットフォームが実際にどのようにモデレーション判断へと至るのかについては、依然としてほとんど分かっていない。この不透明性ゆえに、外部の観察者は、判断が一貫して適用されているのか、それとも矛盾がシステムの実効性を損なっているのかを検証する術を持たない。会議の場でプラットフォーム担当者はしばしば選挙の文脈に疎く、モデレーション判断の論拠を説明できなかったという観察は、この不透明性が単なる情報開示の不足ではなく、担当者レベルでの選挙固有の文脈理解の欠如とも結びついていることを示唆している。報告書は最終的に、RRSを歓迎すべき有用な手段としながらも、それが真の説明責任の代替たりえないと結論づけ、プラットフォームには選挙の公正性を守るという義務を果たすためになすべきことがなお多く残されていると述べて締めくくっている。

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