台湾の偽情報対策はなぜ「機能しているように見える」のかーーDSETレポート『Resilience in Truth』に見る制度と現場

台湾の偽情報対策はなぜ「機能しているように見える」のかーーDSETレポート『Resilience in Truth』に見る制度と現場 偽情報対策全般

 台湾では、2024年の総統選挙において、生成AIを用いた偽情報が注目を集めた。しかしDSET(Democracy, Society and Emerging Technology)の報告書『Resilience in Truth』(2025年4月14日公開)が描いているのは、技術的脅威そのものではない。むしろこのレポートは、「偽情報にどう対応するか」を制度設計、現場運用、市民社会の協働という視点から構造的に描いたものであり、国際的な比較の素材としても優れている。

偽情報はどう現れたか――生成AIの事例

 報告書が最初に示すのは、選挙期間中に確認された偽情報の具体例である。MyGoPenやTFC(台湾事実查核中心)が検出した中で、もっとも象徴的なのは「蔡英文秘史」と題された一連の動画群だ。これらは一つのスクリプトをもとに、生成AIによって複数の動画が作成され、異なるアカウントで繰り返し拡散された。コンテンツの内容はすべて微妙に異なり、個別に否定しても全体としての「語られている雰囲気」だけが残るという、典型的な多重偽情報構造を持っていた。

 また、バイデン米大統領が中国語を話しているかのように見える動画も出回った。本来はエンターテイメント目的の映像だったが、SNSでの切り抜き・誤読を通じて、「バイデンが台湾を支持した」といった文脈に変換されて広がっていった。このように、生成AIを用いた偽情報は、必ずしも明確な意図のもとに作られるとは限らず、「拡散と誤解の連鎖」という構造によって成立している。

対応するプラットフォームとその連携

 プラットフォーム各社の対応は、従来の「外圧的モデレーション」から、「台湾ローカルとの協働」へと移行しつつある。TikTokはMyGoPenとの共同で「2024年選挙ガイド」を発行し、さらにTFC・兒童福利聯盟と提携して、メディアリテラシー教育のための短編動画シリーズを制作した。YouTubeやFacebookもそれぞれの選挙情報ハブを設けたが、報告書ではその透明性と実効性に課題があると指摘されている。

 LINEは、もっともユニークな取り組みとして、「LINE訊息查證」という事実確認チャット機能を展開している。ユーザーが疑わしい情報を転送すると、ファクトチェック団体から直接返答が届く仕組みであり、個別対応型の信頼回路として評価されている。さらに、LINEはその成果を定期的に報告書として公表しており、施策の可視化にも取り組んでいる。

政府の制度設計と「即応型」体制

 報告書は、政府による対策についても具体的な制度案を提示している。特徴的なのは、「偽情報に対応する指揮系統」を省庁横断で設計しようとしている点である。誤情報を検出した際に、関係省庁が即時対応し、記者会見、SNS発信、外交的抗議、法的措置までを迅速に組み合わせる体制が構想されている。これは欧米諸国で課題とされている「反応の遅さ」に対する、台湾からの応答と見なせる。

 また、公共メディアの再建や再投資、そしてメディアリテラシー教育の抜本的拡充も柱となっている。とくに教育分野では、TikTok・YouTubeに偏ったコンテンツ消費への対応や、地域格差・移民層の取り残しなど、多層的な問題意識が提示されており、「教育=若者」ではなく、社会全体の情報力をどう支えるかという設計に近づいている。

なぜ信じられるのか――信頼と構造の問題

 報告書の後半は、制度や事例だけでなく、「なぜ人々は偽情報を信じてしまうのか」という因果構造に踏み込んでいる。TFCが示す「謠言風向球(rumor barometer)」は、選挙期間中に再生産されるテンプレート的偽情報の類型をまとめたもので、特定の主張が何度も別の形式で再登場する過程を、構造的に捉える試みである。

 これは、単に「誤りを訂正する」という情報工学的アプローチではなく、感情・帰属意識・物語といった社会心理的な文脈に注目するものだ。信じる人が悪いのではなく、「信じる構造が再生産される」こと自体が問題なのであり、制度的アプローチだけでは対応できない“文化の厚み”がそこにはある。

おわりに

 『Resilience in Truth』は、偽情報の検出技術やプラットフォーム施策を並べただけの報告書ではない。そこには、「民主主義における偽情報」とは何か、という問いに対する一つの社会設計的な答えが提示されている。生成AIの登場により、情報の速度と量が飛躍的に増した現代において、台湾はその処理能力ではなく、「反応の設計」と「信頼の分散」によって応じようとしている。危機に対して最も強いのは、中央集権的な権限ではなく、分散された判断力と協働の回路だということを、この報告書は示している。

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