European Media Freedom Actは民主主義の後退を止められるのか――条文設計・判例整合性・実装条件から見た制度の限界

European Media Freedom Actは民主主義の後退を止められるのか――条文設計・判例整合性・実装条件から見た制度の限界 論文紹介

 本稿で扱うのは、Gemma Horton と Antonia Assersen-Skadberg による論文 European Media Freedom Act: can it stop the democratic backsliding?Journal of Media Law, 2026年)である。著者はいずれもシェフィールド大学・Centre for Freedom of the Media に所属し、欧州におけるメディア自由、ジャーナリストの安全、法制度と民主主義の関係を専門とする。本論文の問いは単純だが制度的には重い。European Media Freedom Act(EMFA)は、欧州で進行してきた民主主義の後退を、法制度として食い止められるのか。結論を先取りすれば、著者たちの評価は慎重かつ構造的に否定的である。EMFAは必要な規制であり、一定の前進も含むが、条文が前提とする国家像・司法像・メディア像がすでに崩れている加盟国においては、後退を反転させる装置にはなりえない。この判断は価値論ではなく、条文分析、欧州人権裁判所判例との整合性検証、実装条件の検討から導かれている。

EMFAが要請された背景

 論文はまず、EMFAが必要とされた政治的・制度的文脈を整理する。EUおよびCouncil of Europeの公式文書が示す通り、欧州ではこの10年、メディア自由をめぐる環境が体系的に悪化してきた。国家・政党によるメディア・キャプチャ、規制当局や公共放送を通じた編集介入、スパイウェアや通信傍受による取材源秘匿の侵害、SLAPPによる公共的報道の萎縮、選挙期における誤情報・偽情報の制度的拡散が同時並行で進行している。Media Pluralism Monitor や Europe Press Freedom Report が示すのは、これらが一過性の逸脱ではなく、制度として再生産されているという事実である。EMFAは、この状況に対してEUレベルで共通の法的枠組みを与える初の包括的規制として構想された。

「誰が守られるのか」という定義問題

 EMFAの中核概念は「media service provider」であり、条文上は編集責任を持ち、専門的活動としてメディア・サービスを提供する主体と定義される。初期草案ではこの定義が狭すぎるとの批判が集中し、最終版ではフリーランスや非典型的雇用形態も明示的に含まれる形に修正された。これは、欧州人権裁判所が発展させてきた「公共の番犬(public watchdog)」概念と整合する重要な前進である。現代の情報環境では、公共的監視機能は新聞社や放送局に限定されず、SNSや動画プラットフォームを通じて担われているという現実を、EMFAが一定程度認識した結果でもある。

 しかし論文が強調するのは、定義に含まれる「professional」という語の曖昧さが依然として解消されていない点である。それは報酬の有無を指すのか、訓練や資格を意味するのか、あるいは倫理的実践の質なのかが規定されていない。この曖昧さは、無償で活動する市民ジャーナリストやコミュニティ・メディアを排除する余地を残す一方で、制度的地位と報酬を持ちながら国家や商業圧力の下で低品質・扇情的報道を量産する「プロ」を自動的に保護してしまう。論文は、EMFAが「誰を守る制度なのか」という規範的判断を意図的に回避しており、その回避が制度的弱点になっていると位置づける。

編集の独立性と形式的遵守の逆説

 EMFAは編集の独立性を中核価値として掲げ、公的メディアについては資金配分や役員任命に透明性・客観性を求めている。しかし著者たちは、ここに制度設計上の致命的限界を見る。ハンガリーを典型例として、法律上は透明な手続きと公開された所有構造が存在しても、実質的には親政権メディアが圧倒的支配力を持ち、編集の独立性が空洞化している現実が示される。EMFAは「法的枠組みが存在するか」を評価するが、「その枠組みが実質的に独立して機能しているか」を是正する権限を持たない。その結果、民主主義が後退した国ほど、形式的にはEMFAに適合してしまうという制度的逆説が生じる。European Board for Media Services も加盟国規制当局で構成される以上、すでに捕捉された制度を矯正する装置にはなりえない。

VLOPsと二層化される言論空間

 EMFA第18条は、超大規模オンラインプラットフォーム(VLOPs)上でのメディア・コンテンツに特別な手続的保護を与える。削除前の通知、24時間の応答機会、迅速な不服申立ては、プラットフォームの恣意的判断からメディアを守る仕組みとして理解できる。しかし論文は、この制度が言論空間を二層化する危険を指摘する。規制枠組みに属する「メディア」は、たとえ国家プロパガンダに近い内容を流していても特権を享受できる一方、規制に属さない独立系・市民系メディアは排除される可能性がある。その結果、誤情報・偽情報が「保護された言論」として残存し、アルゴリズムによって増幅されるリスクが制度内に組み込まれる。

情報源秘匿と監視――最も危うい領域

 論文が最も深刻に扱うのが、情報源秘匿とスパイウェアをめぐる第4条である。条文は原則的な保護を掲げつつ、「公共の利益」「重大犯罪」「例外的・緊急事態」といった広範な例外を認め、事前の司法許可を原則としながら事後承認も可能としている。さらに「不当な遅延」の具体的時間基準は示されない。著者たちは、この構造が結果的に保護水準の引き下げを招く可能性を指摘する。もともと強固な情報源秘匿を認めてきた国では、EMFAが事実上の上限として機能し、保護を弱める危険がある。また、司法の独立性が侵食された国では、例外規定が監視を正当化する入口になりうる。

結論――EMFAは後退を止められるのか

 論文はEMFAを全面否定しない。定義拡張や国家安全保障条項の削除など、重要な前進も明確に評価している。しかし最終的に提示される問いは厳しい。民主主義がすでに侵食され、司法や規制当局の独立性が失われ、メディアが制度的に捕捉されている国で、EMFAは何を変えられるのか。著者たちは、EMFAが民主主義の後退を止める装置ではなく、後退した現実を制度的に追認する枠組みになりうる危険を示している。

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