欧州周縁地域におけるFIMIレジリエンス形成──EUが支援する東欧・西バルカン・トルコの情報環境

欧州周縁地域におけるFIMIレジリエンス形成──EUが支援する東欧・西バルカン・トルコの情報環境 情報操作

 2025年に欧州オーディオビジュアル観測所が公刊した『Resilience to Foreign Information Manipulation and Interference(FIMI)』は、EUが東欧、南コーカサス、西バルカン、トルコを対象に展開してきたFIMI対策を体系的に整理した報告書である。著者はブラチスラヴァのコメニウス大学のAndrei Richter。本報告書は、偽情報そのものの紹介ではなく、EUが各地域でどの組織に何を委託し、どの制度を整備し、どの社会的アクターを支援して情報のレジリエンスを構築しているのかという、具体的な実施プロジェクトを中心に記述している。本稿では、この報告書に記述されている内容にもとづき、地域ごとに異なる情報リスクとEU支援の構造的特徴を整理する。

東欧・南コーカサス:EU加盟プロセスとFIMIの結節点

 報告書が最初に整理するのは、ウクライナ、モルドバ、ジョージアがEUへの加盟申請を行い、2023年以降に加盟候補国として扱われたことで、地域全体に新しいFIMI攻勢が観察された点である。とくに、EU加盟を「主権の喪失」「西側による従属」と位置づけるロシア発のナラティブは、加盟支持層への不信感と政治的不安を醸成する目的で反復され、対外的な戦争プロパガンダに留まらず、国内政治の操作に踏み込んでいたと報告書は記述する。ジョージアでは「欧米がロシアに対する第二戦線をジョージアで開こうとしている」という主張が2022〜2023年のSNS空間で拡散し、欧州志向の政治アクターの正統性を弱める機能を果たしたと整理されている。

 地域横断的な分析体制として重要なのが、2025年に開始されたEDMOハブ“FACT(Fighting Against Conspiracy and Trolls)”である。ルーマニアのContext Platformを中心に、モルドバ、ウクライナ、バルト三国の調査機関・ファクトチェッカーを接続し、FIMIの分析・データ交換・教育を統合する仕組みを形成した。報告書では、このFACTがモルドバの議会選挙を対象に情報操作を監視したことを具体例として示し、EUの状況把握の基盤が地域規模で制度化されつつあることを強調する。

ジョージア:政府発信ナラティブの分析と、社会側の対抗能力

 ジョージアでは、EU支援は国家機関よりも市民社会に重点が置かれている。報告書が詳述する“Supporting accountable and human rights oriented security sector”は、Social Justice Center、CRRC-Georgia、Georgian Young Lawyers’ Associationが参加したプロジェクトであり、2022〜2025年にかけて政府関係者のSNS投稿を分析し、反西欧的ナラティブの流通実態を可視化した。CRRCはFacebookデータを基盤に、どのアカウント群がどの論点を反復し、どのように操作的な情報が連携して拡散されるのかを構造的に提示した。報告書は、ジョージアでは国家機関自身が発信源となる情報操作が存在する点を特徴として挙げ、国外アクターだけでなく国内アクターがFIMI/DIMIに相当する行動をとる状況が確認されたとする。

 同地域では、暴力的過激主義と情報操作の重層化という問題も挙げられる。オランダ・ハーグのICCTが実施した“Strategic Communications, Disinformation and Violent Extremism”は、南コーカサスおよび西バルカンの過激派グループがデジタル空間を利用して操作的な情報を展開する実態を調査し、域内紛争と対外の情報戦が相互に接続する構造を示した。このような“二重の情報操作環境”は、国家・非国家アクターが混在する同地域特有の課題として描かれている。

 2025〜2027年に実施される“SAFIMI Georgia”では、Media Development Foundation、Transparency International Georgia、Maldita.es などCSOが参加し、メディア・CSO・行政を連携させる「SAFIMI community」を構築する点が特徴的である。メディアリテラシー教育やFIMIの手法理解、ファクトチェック連携が体系化され、EUがジョージアで採用しているアプローチが「市民側の分析能力を重層的に育成する方法」であることを報告書は示している。

モルドバ:若年層と行政能力の二方向から組むレジリエンス

 モルドバは報告書のなかで最もFIMI攻勢が顕著な国の一つとして扱われる。ロシア発のナラティブはEU加盟を「国の破壊」「外からの支配」と位置づけ、選挙の正統性やリーダーシップの信頼性を損なう構造をもって展開された。この状況を受けて、EU支援プロジェクトは“Top-down and bottom-up resilience-building in Moldova”(GLOBSECとMedia-Guard)に代表される二層構造の方法を採用する。16〜30歳の若年層を対象にFIMIの手法(TTPs)を理解する教育を行い、地域メディアと結びつけるボトムアップの施策があり、同時に公務員を対象とした戦略コミュニケーション研修によって政策説明能力を高めるトップダウンの施策が進められる。

 メディア環境の維持では、Internews のSIMIR(2022–2023)が20の独立メディアに緊急助成を行い、情報空間の物理的維持を支えた。またAudiovisual Council(規制機関)の監視能力向上のために機材提供や技術支援が行われ、政治的独立性に脆弱性を抱える監督機関に“技術的強化”を通じて介入する手法が採用された点が特徴である。さらに、People in Needが支援したAPI(独立メディア協会)は2025–2029戦略を策定し、組織基盤を強化するプロセスを進めており、EU支援が「媒体の生存」と「制度の持続性」に二重で作用していることが確認できる。

ウクライナ:国家レベルで組み上げられた情報レジリエンス

 ウクライナは報告書で“main target”として扱われ、EUは2023年だけで3000万ユーロ以上を情報レジリエンス強化に投じた。ロシアによるFIMIは軍事行動と一体化し、戦況情報、歴史ナラティブ、国際世論を同時に操作する形で展開されている。“Strengthening Information Resilience in Ukraine”ではUCMC(Ukraine Crisis Media Center)とPractNet(エストニア)が協働し、ロシアのハイブリッド脅威の分析、歴史問題に関する偽情報の反論、ポッドキャストや映像教材を通じた市民教育を行っている。UCMC内部のHybrid Warfare Analytical Groupはプロパガンダ構造の定期的分析を実施し、報告書ではこれが域内外の分析基準を支える存在として記述されている。

 国家的制度基盤として重要なのが、戦略コミュニケーションを担うCSC(Centre for Strategic Communication and Information Security)である。エストニアの開発機関ESTDEVが支援し、国家間連携やリスク分析手法の導入を通じて、戦時下における政府の情報対応能力を強化した。また、欧州評議会(Council of Europe)が進める“Safeguarding Freedom of Expression – Phase II”が規制面と公共放送UA:PBCの内部制度の改善を支え、戦争状態におけるメディアの独立性と制度的安定性を確保する枠組みが整備されている。

西バルカン:民族・言語圏の接続が生む情報操作の浸透条件

 西バルカンは、民族・言語圏が国境を越えて連続し、隣国メディアが“外国”として知覚されない特性を持つ。このためFIMIとDIMIの境界が曖昧となり、報告書ではSerbiaを中心にプロロシア的なナラティブを主要メディアや政治勢力が域内に流通させている状況が整理されている。こうした“越境的な国内情報”という特有の環境が、FIMI対策を難しくする構造要因とされる。

 Bosnia and Herzegovinaが参加したUNESCOの“Social Media 4 Peace”では、CSO17団体を束ねたCoalition for Freedom of Expression and Content Moderationが設立され、プラットフォームのコンテンツ管理基準と現地の課題の乖離を是正するための協働体制が作られた。また、EPDらが実施した“Combating Disinformation in the Western Balkans(CDWB)”では、Bosnia and Herzegovina、Kosovo、Montenegro、Serbiaの4カ国で市民会議を開催し、9つの課題と36の行動項目からなる地域協力ロードマップが提示された。報告書は、単一国家では扱えない情報環境に対し、地域横断の制度形成が始まりつつある点を強調する。

トルコ:AIを用いた分断検知と学際的アプローチ

 トルコでは、Türkiye Europe Foundation(TAV)が行った“SAHNE”が特徴的であり、SNS(とくにX)上のヘイトスピーチと偽情報をAIで検出し、拡散速度・拡散経路を可視化する早期警戒システムが構築された。報告書は、これが政治的分断の進行を把握する上で有効であり、ジャーナリストやCSOによる迅速対応に資する仕組みとして評価している。また、Hrant Dink Foundationが実施したプロジェクトでは、言語学・計算機科学・社会科学が連携し、オープンソースのヘイトスピーチ検出ツールやデジタル識字講座が展開されている。これらは、FIMIに限らず広範な社会的分断を対象とする学際的モデルとして整理されている。

結論:地域ごとに異なる情報リスクとEU外部支援の構造

 本報告書が示すケーススタディは、EUのFIMI対策が一つの国際政策ではなく、地域ごとの情報生態系に合わせて異なる構造を取ることを明確に示している。ジョージアでは市民社会の分析能力向上、モルドバでは若年層と行政の二層的アプローチ、ウクライナでは国家レベルの戦略コミュニケーション体制、西バルカンでは越境的情報空間に対応する地域協力、トルコではAI分析と学際的枠組みが採用され、いずれも報告書に記述された具体的取り組みとして整理されている。EUが情報領域を安全保障の一部として扱う姿勢は、制度、教育、メディア、市民社会を横断する多層的アプローチとして実際の地域に組み込まれつつある。

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