Center for Climate and Security(CCS)と Council on Strategic Risks が2025年12月に公表した “Putin, Permafrost, and Propaganda” は、ロシアが気候変動をめぐる情報空間をどのように設計し、利用しているかを安全保障の文脈から整理した報告書である。対象は単なる気候否認の言説やエネルギー政策批判にとどまらず、国内の環境運動弾圧、北極圏の軍事化、アフリカでの影響力工作、欧州の脱ロシア化エネルギー政策への妨害、欧米の文化戦争との結合まで幅広い。重要なのは、それらがバラバラの事例の寄せ集めではなく、ロシア経済の化石燃料依存、権威主義的統治、対NATO戦略という三つの軸に沿って、体系的に構造化されている点にある。気候変動は「環境問題」であると同時に、災害、エネルギー価格、食料安全保障、移民、社会分断を通じて政治的・軍事的リスクを増幅させる。報告書は、その増幅された脆弱性をロシアがどう「情報操作の資源」として利用しているかを描き出す。
ロシアの戦略目的:化石燃料体制、国内統治、対NATO分断
報告書の骨格をなすのは、ロシアの気候関連情報操作を、国家戦略と結びつけて位置づける枠組みである。著者はロシアの目的を大きく三つに整理する。
- 化石燃料に依存する経済・財政基盤の維持。石油・ガス・石炭からの収入と、それを再配分するパトロネージが、プーチン体制の国内統治を支える構造になっている。脱炭素政策や国際的な気候枠組みは、国家財政とエリート支配の両方を揺るがすものとして、体系的に弱体化される。
- 広大な領土と民族周縁地域を含む国内統治の維持。環境汚染や資源開発が集中しやすい周縁地域での抗議運動は、中央政府への不満や民族的自立要求と結びつきやすい。環境運動を「治安リスク」と「外国勢力の工作」に変換し、情報空間から排除することが統治戦略の一部になっている。
- 米国・NATO・EUの政治的結束の弱体化。災害時の政府対応の失敗、エネルギー価格高騰、農業・産業構造の転換に伴う不満を、対ロ制裁やウクライナ支援に結びつけることで、「自国利益を犠牲にして他国を支援している」というフレームを浸透させる。
この三つの目的が、科学否認から災害利用、エネルギー政策批判、極右ネットワークとの連携まで、報告書に出てくる多様な事例を貫く共通の背骨になっている。
情報操作エコシステム:五層構造としての国家的インフラ
報告書は、米国務省が提示したロシアの「情報操作エコシステム」のモデル──政府公式発信、国営メディア、代理メディア、ソーシャルアカウント、サイバー活動──を、そのまま気候領域に当てはめて検討する。
- 外務省や大統領府、国家安全保障会議といった公式チャネルが、気候やエネルギーに関する政治的立場や陰謀論に近い見解を発信する。
- RT、Sputnik、Rossiya Segodnya といった国際向け国営メディアが、それを「ニュース」として世界に流通させる。
- 各国の親露メディアやシンクタンク、ロビー団体、右翼系インフルエンサーが、ロシアと利害が一致する範囲でそのフレームを反復・翻案する。
- bot や troll を含む一般アカウント郡が、X や Facebook、Telegram 上で「草の根の声」の形を装って拡散を担う。
- ハッキングやなりすましサイト、ドキュメント改ざんなどのサイバー活動が、気候関連の「リーク」や疑惑を演出する。
重要なのは、個々の偽情報の真偽というより、この五層構造が気候・災害・エネルギー・食料といったテーマ群をつなぐ「配線」として機能していることである。報告書は、この配線にどのような「負荷」が乗せられてきたかを、時間軸と地域別に追跡する。
気候科学への介入:Climategateから2016年選挙介入までの連続性
ロシアの気候情報操作は、いきなり災害やエネルギー価格から始まったわけではない。1990年代以降、ロシア国立研究機関からは、温暖化を「太陽活動」などの外的要因に帰すことで、人為起源CO₂の影響を過小評価する論文やコメントが繰り返し出されてきた。IPCCに対する不信や「西側科学の政治性」を強調する論調は、科学的議論というより、自国の化石燃料利益を守るための政治的言説として形成されている。
2009年の「Climategate」では、IPCC関連科学者のメールが盗まれて公開され、「データ改ざん」などの疑惑が大きく報じられた。報告書は、技術的なフォレンジック分析の結果、ロシア系サーバーが経由点として浮上していることを紹介しつつ、関与を断定はしない。しかし、機密メールを盗んで「科学者の陰謀」という物語を作るという手法そのものが、後の2016年米大統領選でのハック&リークと構造的に酷似していることを指摘する。
2016年選挙に関しては、ロシアの troll farm による数百万件の SNS 投稿を分析した研究で、「科学関連の話題の中で最も多かったテーマが気候否認だった」との結果が引用されている。そこで展開されたのは、単純な「温暖化は嘘だ」という否認だけではなく、以下のような組み合わせである。
- 気候変動は「中国の陰謀」「グローバルエリートの支配計画」とする陰謀論。
- 環境規制は「白人労働者から仕事を奪う」とするポピュリスト的フレーム。
- 再エネや電気自動車を「弱者にコストを押し付けるリベラルの贅沢」とする文化戦争的フレーミング。
これらが反ワクチン、反移民、ジェンダーや人種をめぐる対立と束ねられ、気候が「文化戦争のハブ」として位置づけられていく。
国内環境運動の抑圧:情報遮断と「外国勢力」フレームの組み合わせ
ロシア国内では、環境問題はしばしば民族問題や地方自治の要求と重なり、政権にとって厄介な抗議の媒体となる。報告書は、特に2024年1月のバシコルトスタンを例に、環境運動がいかに治安問題と情報統制の対象にされているかを描く。バシコルトスタンでは、採石場開発や廃棄物処理をめぐる抗議運動が長く続いており、その中心人物の一人である Fail Alsynov は「民族間憎悪の扇動」の罪で4年の実刑を言い渡された。判決に抗議して集まった人々に対して、当局は現地のモバイル通信やインターネットを遮断し、警察・治安部隊がデモ隊を力で排除した。
同時期に、Greenpeace や WWF のロシア支部が「好ましくない組織」に指定され、活動停止に追い込まれている。環境系メディアや NGO は「外国の資金で国内の安定を破壊する代理人」とラベリングされ、法的・経済的圧力で排除される。ここでは、環境政策の是非や科学的妥当性の議論が成立する前に、「外国勢力」というラベルが危険を定義し、情報の入口そのものが閉じられている。ロシアの安全保障エリートの言説では、「気候」「環境」「人権」といったテーマは、西側が国内混乱を煽るためのツールとして扱われており、環境運動はその代表的なターゲットとなっている。
この構造は、気候問題に対する国内の不満・抗議のエネルギーを、「治安の脅威」と「外部陰謀」の二つの枠で吸収するものであり、後の国外向けプロパガンダ──西側の環境運動を「米欧エリートの操り人形」と扱う言説──とも鏡像的な関係をなしている。
災害を利用する:Helene と Valencia 洪水に見る「危機利用型」操作
報告書が最も具体的に事例を積み上げているのが、気候変動に起因する極端現象や災害発生時に、ロシアがどのような情報操作を行ったかである。2024年秋、米国南東部を襲ったハリケーン Helene は、250人以上の死者を出し、近年で最悪級の被害となった。災害発生直後から、米国内の極右系アカウントやトランプ支持者コミュニティの間では、「FEMA は民主党支持地域を優先し、共和党地盤を見捨てた」「移民に援助を回している」といった虚偽情報が流れた。ロシアの国営メディアや SNS アカウントはこれに乗る形で、「米政府はウクライナ支援に金と注意力を費やし、自国民を犠牲にしている」というストーリーを反復する。現地では、救援活動を行う FEMA 職員に対して武装民兵による脅迫が行われ、支援活動の妨げとなった。
同じパターンは欧州の洪水でも見られた。ポーランドの洪水では、ロシア・ベラルーシ起点とされる偽情報の量が平時の数倍に増え、「政府は EU の Green Deal に従うあまり洪水対策を怠った」とする批判が目立った。スペイン・バレンシアの洪水では、国王の訪問を悪意ある形で切り取った映像が出回り、「王室と政府は国民の苦しみを利用して政治宣伝をしている」「それでもウクライナには金を出す」といったフレームが重ねられた。ここでも、災害そのものよりも、「政府不信」と「対ウクライナ支援批判」を結びつけることが中心となっている。
こうした事例を並べることで、報告書は「災害 → 政府対応への不信 → 対外政策への不満」という回路が、米欧双方で再現されていることを示す。ロシアの役割は、その回路に沿って既存の国内不満を増幅し、外交・安全保障政策を内政不満のスケープゴートとして提示することにある。
北極圏:融解と軍事化のもとで展開される情報戦
北極圏は、気候変動の進行によって戦略的重要性が急速に変化している地域であり、ロシアはここでも情報操作を軍事・エネルギー戦略と密接に結びつけている。氷の融解により北極海航路の通年利用の可能性が高まり、資源開発や軍事基地の展開が現実的な選択肢となるなかで、ロシアは北極圏の軍事インフラを旧ソ連時代に近い規模まで再構築し、同地域の GDP に占める割合も高い。
情報空間では、NATO や米国の軍事演習を「北極圏の軍事化を進める挑発」と描き、自国の軍事的プレゼンスは「地域の安定と航行の安全のための防衛的措置」として正当化する。また、対ロ制裁を「北極圏住民の経済的利益を奪う不当な行為」と位置づけ、地域経済への打撃を強調する。ここでは、気候変動が生んだ「新たなフロンティア」が、軍事・経済・情報の三つの戦線として同時に扱われており、北極が単独の環境問題ではなく、総合的な安全保障空間となっていることが見えてくる。
アフリカ:食料不安・移民・反植民地主義の接合点
アフリカでは、気候変動が干ばつや洪水、農業生産性の低下を通じて食料不安と移民圧力を高めている。この脆弱性を、ロシアは反欧米プロパガンダの足場として利用する。報告書は、サヘル地域のクーデターや治安悪化の局面で、ロシア(およびワグナー系組織)が「治安支援」と称して進出し、同時に情報空間で「欧米制裁が食料危機の原因である」「EU は自らの気候政策のためにアフリカの化石燃料開発を妨げている」といったメッセージを発信している過程を示す。
さらに、ロシアは自国の天然ガスや原子力技術を「脱炭素と経済成長を両立させる現実的な選択肢」と位置づけ、Africa Energy Chamber などの業界団体と連携しながら、「欧米の Green Deal ではなく、ロシアとのエネルギー協力こそが主権と成長の鍵だ」というストーリーを作る。ここでは、気候変動・エネルギー・反植民地主義が一つのパッケージとして提示され、欧米の気候・人権政策に対抗するオルタナティブな秩序としてロシアが位置づけられる。
欧州エネルギー転換への妨害:Green Deal・Fit for 55 をめぐる言説戦
欧州がロシア産化石燃料からの脱却を進めるなかで、情報操作の主戦場となったのが、Green Deal や Fit for 55、排出量取引制度(ETS)といった政策パッケージである。報告書は、ポーランド軍諜報機関の分析を引用しつつ、ロシア発の情報ネットワークが一貫して以下のような言説を拡散してきたことを整理する。
- 再生可能エネルギーは高コストで不安定であり、停電やエネルギー貧困を招く。
- カーボンプライシングや ETS は産業競争力を損ない、製造業の空洞化を加速させる。
- 農業・運輸セクターへの規制は農家やトラックドライバーを破壊し、「ブリュッセルの官僚」が庶民の生活を犠牲にしている。
こうしたフレームは、欧州内部にすでに存在する不満と接合しやすい。農家デモや燃料価格抗議が発生すると、ロシア系メディアや SNS アカウントはそれを「EU エリートに対する庶民の反乱」として大きく取り上げ、同時に制裁やウクライナ支援の見直しを要求するメッセージと結びつける。ここでも、エネルギー・気候政策に対する反発は、最終的に対ロ制裁緩和へ向かう圧力として利用される。
文化戦争としての気候否認:issue-stacking と極右ネットワーク
報告書が強調するのは、気候否認や反環境政策の言説が、単独で存在しているのではなく、極右・反移民・反フェミニズム・反ワクチンといった文化戦争的テーマと束ねられている点である。英国の極右活動家 Tommy Robinson が RT に登場し、「気候政策はエリートによる庶民への新たな税」であり、「移民やマイノリティを優遇するための口実だ」と語る構図は、その象徴的な例だろう。
米国では、RT が Tenet Media という保守系メディア企業に対し、匿名のルートを通じて約1,000万ドルを供与し、複数の右翼インフルエンサーを起用して気候否認・環境活動家攻撃・脱炭素政策陰謀論を発信させていたことが米司法省の起訴状で明らかになった。これらのコンテンツは一年で2,300万回以上視聴されており、規模としても無視できない。ここでは、「気候」は以下のようなテーマとまとめて処理される。
- マスク着用義務やワクチン接種と同列の「自由の侵害」。
- ジェンダー平等や人種差別是正と同列の「リベラル・エリートの押し付け」。
- 移民対策や治安と結びついた「国境管理の弱体化」。
ロシアの情報操作ネットワークは、このような文化戦争の回路に「気候」を組み込むことで、民主主義諸国の社会分断を長期的に深める仕組みを作り出している。
脆弱な情報空間と AI:ロシア戦術が寄生する条件
報告書は、ロシアの能力を神話化することを避けつつも、欧米側の情報空間が自らの構造的脆弱性によって、ロシア戦術を受け入れやすい状態にあることを指摘する。気候変動による災害や経済構造変化が不満を生み、SNS プラットフォームのモデレーション後退やアルゴリズムのエンゲージメント偏重設計が、極端なコンテンツを増幅する。加えて、生成AIの普及により、真偽判定が難しいコンテンツが爆発的に増え、政治的にもミスインフォメーション対策への反発が強まるなかで、「何が真実か分からない」という諦めに似た態度が広がる。
ロシアはすでに AI ボットやチャットボットへのデータ汚染を試みており、長期的には「モデルの学習データそのものを歪める」形で影響力を行使しようとしていると報告書は警告する。ここでは、個々のフェイクニュースを debunk することを超えたレベルで、「情報インフラと認知環境そのもの」が攻撃対象となっている。
まとめ:気候危機と情報戦の重なりをどう扱うか
“Putin, Permafrost, and Propaganda” が描くロシア像は、「気候否認国家」という単純なものではない。むしろ、気候変動がもたらす災害、エネルギー転換の摩擦、食料不安、移民問題、文化戦争といった多様なテーマを、一つの情報操作体系の中に組み込んだ「気候ハイブリッド戦の主体」である。気候変動が進行するほど、極端現象と社会不安の頻度は上がり、そのたびに情報空間の脆弱性が露呈する。ロシアは、その脆弱性を前提として「どのタイミングで、どのフレームを流し込めば、どの政策や連帯が揺らぐか」を学習し続けている。
このレポートが示しているのは、偽情報の個々の事例よりも、その背後にある設計思想である。気候変動を環境政策の問題としてだけ扱う限り、こうした設計には届かない。気候リスクの増大と情報戦の制度化が交差するところで、どのように監視・分析・対応の枠組みを組み立てるか。それを問うための素材として、この報告書は十分に紹介する価値を持っている。

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