ラトビア・リガに本拠を置くNATO Strategic Communications Centre of Excellence(以下NATO StratCom COE)が、2026年2月6日に28ページの研究報告書『The NextGen Information Environment』を公開した。執筆者はNeville Bolt(戦略コミュニケーション研究者、キングス・カレッジ・ロンドン元教授)とElīna Lange-Ionatamišvili(NATO StratCom COEシニア研究員)の2名だ。本報告書は単一著者の分析ではなく、2025年を通じてNATO StratCom COEが開催した複数回の学際的研究会合の成果物として位置づけられている。会合はケンブリッジ大学(2025年3月3〜4日)およびリガで行われ、学術・政策立案・産業の各分野から国際的な専門家が招集された。テーマは「没入型・先端テクノロジーが情報との公的インタラクションをいかに再定義するか」「何を追跡すべき初期指標として特定するか」の2点に集約される。
報告書の性格はホライズンスキャニング型のフューチャーズ分析であり、現在進行中の影響工作に対するオペレーション分析ではない。現状を観察しながら、中期的な技術・地政学・社会的変容の方向性を特定し、NATOおよび加盟国政府が備えるべき政策アクションを提言することが目的だ。この点でISD-USのような実証的計測研究とは異なる知識生産の様式を持つ。
12の主要観察が描く「新冷戦」の輪郭
報告書のKey Observationsは12の断章的命題で構成され、以後の分析の骨格をなす。その筆頭として報告書が置くのは「NATOは高技術競争によって規定された新種の冷戦に直面している。敵対勢力は先端技術をNATO加盟国市民への攻撃に用いている」という診断だ。AIをめぐる米中の軍拡競争は、構成員がほぼEU加盟国と重なるNATOにとって固有の脆弱性をはらんでいるとする。
「防衛的戦略コミュニケーションから攻勢的戦略コミュニケーションへの思考転換はすでに起きている。問いは転換の有無ではなく、その形態をどう設計するかだ」という観察も重要だ。これは報告書が現状を守りから攻めへのパラダイム移行完了として認識していることを示す。
安全保障ドメインのハイブリッド化については、「商業主体とテクノロジー指導者が、国家の管理やアライメントと独立して戦略と安全保障に直接影響を与えている」と記述する。民間企業が国家を超えて独自の地政学的影響力を行使し始めている構造変化を「hybridised security domain」と呼ぶ。
AIリタラシーの欠如に関する観察も率直だ。「政策立案者はAIを経済的進歩のツールとして扱いながら、その生活変容能力を十分に認識できていないというジレンマに陥っている。特に政府の政策立案部門における科学技術リタラシーの不足から生じるこの不明瞭さがセキュリティ上の懸念を生む」。欧州については「規制を優先し倫理を推進しながら実践的実験を制限している。実地経験なしには、政治的意志に乏しい欧州は競合他国に不可逆的に遅れをとるリスクがある」と厳しく評価する。
知識権威の危機についての観察は示唆に富む。「知識は戦略的通貨だ。何が知識とみなされるか、いかに要約されるか、誰がそれを所有するかへの影響力は現在争われている。著作者性と真正性が疑わしくなる環境では、AIシステムが最も信頼される主体になりかねない」。逆説的に、社会の一部はAIシステムへの信頼をデータポイズニングへの恐れから失う可能性も指摘される。
ニューロ戦争・数学的情報戦・AIポイズニング:3つの新正面
Key Observationsが最も強調する新しい脅威正面は3つに整理できる。
ニューロ戦争については「人間と機械の収束がAIを超えてニューロテクノロジー革命となりつつあり、民主主義と情報環境に深刻な含意を持つ。人間の意識を予測し神経データを解釈することは理論的な話ではなく、すでに存在している」と記述される。報告書はこの分野への「緊急の注意」を要求しつつ、現在のNATO機構にはこれに対処する専用分析単位が存在しないという制度的空白を指摘する。
数学的情報戦争については「将来の情報戦争は、メッセージ優位を決定するために機械が行う数学的計算に依存する。エージェント型システムは相互に絶えず評価し合い、競争的に凌駕しようとする」という見解が示される。人間が読むコンテンツの説得ではなく、アルゴリズム同士が情報空間の支配をめぐって演算レベルで競合するという情報戦の数理化・自動化を予測する。
AIポイズニングは報告書が独立したサブセクション(The Contaminated Information Ecosystem)を割いて詳述するテーマだ。「西側のオープンソースAIモデルを訓練サイクルに偽データを注入することで体系的に『毒盛り』し、それらを腐敗させるトレンドはおそらく増大し、将来の情報戦争の不可欠な『一分野』となる」と断言する。その先に続く展開として、「敵対勢力はその後AIをリバースエンジニアリングし、人間の説得ではなく機械消費のために特別設計されたコンテンツを生成する」という段階的エスカレーションを描く。専門化モデルが操作を受けやすいとし、「合成訓練データ——他のモデルが現実を理解する方法を腐敗させるために設計された人工的モデル」を危険事例として挙げる。その帰結は「合成オーディエンスやそのデジタル表現で訓練されたAIシステムが歪んだ出力を生成する世界」だ。
民間アクターの台頭と権威主義的AIの地政学
報告書が注目する構造的変容の一つは、テクノロジー企業の国家制御外での地政学的影響力拡大だ。「民間アクター——商業主体と個々のテクノロジー指導者——は、国家管理と独立して直接的な戦略的成果を伴う前例のない影響力を行使できるようになりつつある」と診断する。大手テクノロジー企業は国家間を移動し、それぞれのリーダーが独自の利害関係と地政学的アジェンダを持つとされる。
この民間アクターの独立性は、権威主義的拡張と組み合わさるとき特定の危険性を帯びる。報告書は権威主義的アクターがグローバルサウスに対してサブシディを付けたオープンソースシステムを提供することで西側商業製品を価格競争で駆逐し、「異なる情報環境を形成し、より広範な国際デジタルインフラへの影響力を拡大する」シナリオを描く。一旦特定のインフラへの依存関係が形成されれば、「権威主義的技術論理とその基礎的イデオロギーの正常化」が帰結するという。
逆説として報告書が指摘するのは、「権威主義国家のAIシステムは政治的権威の管理下に部分的にしかない」という点だ。これは脆弱性であると同時に、「自由民主主義にとって新たな機会を創出する」。権威主義国家の人々は、体制管理外にある共通知識を生成するAIシステムにアクセスできる可能性があり、「権威主義的安定を内側から掘り崩す機会を提供する」という。
マイクロターゲティングと共有現実の消滅
情報環境のパーソナル化に関する分析も重要な節をなす。「マイクロターゲティングは超個人化をもたらす。その結果、共有された言説ではなく平行的かつ個人化された現実が人間の意識を支配するようになる」。アルゴリズムが個人の消費スタイルやアイデンティティに適応したコンテンツを動的に提供する結果、「受け入れられる情報が孤立し、事実・参照基準・価値観に共通の地盤がほとんどない自己完結的・内向的コミュニティへの社会の断片化」が進行するという。
さらに経済格差との交差を指摘する。「検証された『質の高い情報』へのプライバシーとアクセスは消費者の支払い能力に依存するようになり、認識の不平等と乖離をさらに拡大する可能性がある」。情報品質が経済階層化と連動するという見立ては、デジタル時代の民主的言論空間の基盤条件に関わる。
制度的ゲートキーパーの不在についても明示的だ。「断片化した微小公衆に対して権威ある真実の主張を確立できる信頼された制度的ゲートキーパーの不在は、問題をさらに悪化させるだけだ。この環境は防衛的措置だけでなく、攻勢的戦略コミュニケーションを要求する」。
政治的行動提言の5クラスターと制度設計
報告書の政治的行動提言はテーマ別クラスターに分類されており、構造的に読み解ける。
安全保障・情報戦争クラスターでは、神経データの最前線に注目した「予測的分析専用ユニット」の創設、カウンター・ナラティブ応答から「敵対勢力にコストを課す能動的テクノロジー活用」への思考転換、機械消費向けコンテンツの検出システム構築、政治的目的に基づいたデジタルプラットフォーム買収に対する国家安全保障審査が求められる。特に「AI消費向けに設計された脅威コンテンツの検出・軽減システムを開発し、敵対勢力が標的とする影響作戦の新興ドメインをマッピングする」という提言は、対人説得から対AI操作へのベクター転換への対応を意味する。
AI統治クラスターでは「AI→制度的信頼」から「AI→AI信頼」への移行への新たなガバナンス枠組み整備、感情的知性を組み込んだAIシステムが生む心理的搾取への脆弱性への対処、中国との競争を念頭に置いた「危険な情報の非対称性」に対処する「Sino-literacy(中国リタラシー)」強化が提言される。
NATO固有クラスターでは、5%GDPの防衛支出コミットメントにおいて「情報環境のレジリエンス」をどう定義しいかに配分するかの明確化、仮想情報環境での攻勢的認知戦の先制的実施(「民主主義とは区別する倫理的枠組みを伴う形での認知戦への関与」)、そして**D-RAIL(Directing Responses Against Illicit Influence Operations)**フレームワークの活用が挙げられる。D-RAILは違法な影響作戦へのデプラットフォーミングと資金停止の戦略的対応手法として位置づけられており、「米国との脱プラットフォーム基準の乖離に関する政策対立への準備」が同時に必要だとする。米欧のデジタルプラットフォーム規制思想の分岐が既に政策摩擦として顕在化していることを前提に置く現実主義的な指摘だ。
規範的基盤とAI透明性の要件
報告書の終盤は「民主主義の将来は、技術・資本主義・社会システムに倫理を統合した『倫理的環境』の確立にかかっているかもしれない」という規範論的命題を中心に展開する。技術的解決策だけでは価値と目的の問いは解決できないとし、技術的問題と「データ主導の解決策ではなく民主的熟議を要する規範的問い」の区別が政府に求められるとする。
AIシステムの透明性については具体的な要件が列挙される。「設計原則・訓練データとパラメータ・システムプロンプト・モデルウェイト」のオープン化——すなわちモデルの出所とバイアスが理解・公開討論できる状態——を西側諸国が主唱すべきとする。「AI訓練が完全に再現可能であることへの強調」も要件に含まれる。さらに「文化的・歴史的・社会的コンテキストへの認識でAIシステムを訓練することへの投資」がアルゴリズム的バイアス軽減に資するとする。これらは技術的要件でありながら、誰がAIのリアリティ定義権を持つかという知識権威の問いと直結する。
報告書の方法論的限界と読み方
本報告書が採用するのは先行事例の実証分析でも統計的計測でもなく、国際専門家の集合的判断を体系化するコンセンサス型ホライズンスキャニングだ。ケンブリッジ大学・リガの2回の会合を基盤とし、学術・政策・産業の学際的チームが「どの未来が人間にとって望ましいか」を議論した結果が本報告書の核をなす。
この方法論は予測の定量化には向かない。「エージェント型システムは互いに競争的に凌駕しようとする」という命題は実証的命題ではなく専門家判断に基づく予測的診断であり、論拠の強さはその合意形成プロセスと参加者のプロフィールに依存する。その意味で本報告書の「Key Observations」は、特定のエビデンスに基づく発見ではなく、NATO加盟国の政策立案者が優先して注目すべき問題空間を設定したアジェンダセッティング文書として機能する。
報告書自身も認識するように、「西側の予測とシナリオベースモデリング能力は遅れている。計画は段階的な混乱だけでなく壊滅的シナリオに取り組むべきだ」。列挙される壊滅的シナリオには「AI主導の取引・物流の混乱」「テクノロジーが依存するネットワークを損なうグローバルガバナンス構造の崩壊」「敵対勢力による主要技術の複製による西側AI優位の侵食」「データ注入によるオープンソースモデルへの意図的ポイズニング」が含まれる。これらは実際の政策対応が現在最も欠けているクラスターを示すとともに、本報告書自体が緊急度を訴えるリスクコミュニケーションとして機能していることを示す。
参照元
- NATO Strategic Communications Centre of Excellence, “The NextGen Information Environment,” Riga, February 2026: https://stratcomcoe.org/publications/the-nextgen-information-environment/339
- PDF: https://stratcomcoe.org/publications/download/Next-Generation-Information-Environment-FINAL.pdf

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