フィンランドを拠点とする情報操作対策の調査機関CheckFirstは2026年6月10日、2026年6月7日投票のアルメニア議会選挙を標的とした親ロシア系偽情報(disinformation)工作を分析した報告書「Noise Without Effect」を公開した。著者はFloréane MarinierおよびValentin Châteletの両研究者である。CheckFirstは欧州における偽情報・影響力工作の検知を専門とする民間調査機関であり、その活動の性質上、ロシア発の情報操作を継続的に監視・批判する立場にあることは読者として念頭に置く必要がある。ただし本報告書が提示する個別の技術的根拠——ドメイン登録データ、IPアドレスの重複、SNSプラットフォームの推薦アルゴリズムが実際に表示したコンテンツの記録、流出した内部資料——は検証可能な形で提示されており、内部レビュー体制を経て公開されている。
報告書は欧州対外行動庁(EEAS、EUの外交政策実施機関)が公表した第4回外国による情報操作・干渉(FIMI:Foreign Information Manipulation and Interference)報告書の知見を出発点とする。同庁は、2024年モルドバ大統領選を標的としたクレムリン系プロパガンダの運用者が、その矛先をアルメニア議会選挙へ転じたと指摘していた。モルドバのマイア・サンドゥ大統領とアルメニアのニコル・パシニャン首相は、いずれも長年の同盟国であったロシアから距離を置き、欧州連合(EU)との関係強化に踏み出した政治指導者という共通点を持つ。シンクタンクCarnegie Europeの分析は、パシニャンへの圧力の主体を「米国を中心とするアルメニア人ディアスポラの民族主義派」と「ロシア」の二者に求めているが、CheckFirstの調査結果はこの分析を部分的に裏付けつつも、実際に検知された活動量においてはロシア系の情報操作セット(IMS:Information Manipulation Set)の比重がディアスポラ発のコンテンツを大きく上回っていたとする。
選挙情勢と調査手法
2026年6月7日、アルメニアは2017年以来初めて定例日程で実施された議会選挙を迎えた。背景には、2020年から2023年にかけてのナゴルノ・カラバフ(アルツァフ)の喪失、10万人超のアルメニア人の避難、2025年8月のアゼルバイジャンとの和平合意という地政学的転換がある。パシニャンは同時にEUへの接近を進め、2026年3月には欧州議会で演説しEU加盟基準達成への道筋にあると宣言、同年4月にはアルメニア議会が加盟手続き開始を定める法案を採択した。これに対しロシアは、集団安全保障条約機構(CSTO)およびユーラシア経済連合(EAEU、アルメニアも加盟国)の主導国として圧力を強め、EU統合とEAEU加盟の両立は不可能であるとして国民投票の実施を要求し、ウラジーミル・プーチン大統領自身もアルメニアがEUとの関係を深めれば「ウクライナの筋書き」をたどる危険があると警告していた。
CheckFirstは2026年4月22日から5月22日の1か月間、フランス語・英語・ロシア語の10のキーワードを用いてデータを収集した。調査には自社開発ツール「CrossOver Monitoring」を使用し、パリに位置すると判定される未ログイン状態のユーザーがYouTube・TikTok・Blueskyの推薦アルゴリズムから実際に表示されるコンテンツを週1〜3回の頻度で記録した。これに加え、IMS「Overload」関連のメール・Telegramチャンネル・SNSアカウントを監視する専用ダッシュボード、およびGoogle検索とPravdaネットワークの仏語・アルメニア語版サイトURLを用いたキーワード調査を組み合わせている。
TikTokとYouTubeに表れた非対称な情勢——AI生成コンテンツとディアスポラの動員
フランスに位置するユーザーが「パシニャン」をTikTokで検索した場合、表示される動画の大半はパシニャンに敵対的な内容であった。ロシア語圏アカウント「Мир Сейчас(@mirseychas)」はプーチンの国際情勢発言を増幅しつつアルメニア・ロシア関係の推移に注力し、英語字幕付きの動画でパシニャンがウクライナ問題でモスクワと距離を置く一方、アルメニアがロシアと同じCSTO加盟国である点を強調していた。アゼルバイジャンを拠点とする「@zekastudiya」は、プーチン・エルドアン・アリエフを好意的に描くAI生成動画を専門とし、自己紹介欄では商業向けクリップ制作サービスを宣伝していた。
特に注目されるのは米国拠点のアルメニア人ディアスポラ団体「GlobalHye」である。同団体は自らを「行動に影響を与え、認識を形づくり、新製品・新企業を市場に位置づけ、その地位を維持させる」存在と自己紹介しており、パシニャンの名をトルコ風に転写したハッシュタグ「#Pashinoghlu」(同首相の政策が実質的にトルコの利益に資するという反対派の主張を反映)を用いて落選を明示的に呼びかけ、前大統領ロベルト・コチャリャン率いる野党連合「アルメニア・アライアンス」への支持を投票直前まで継続していたが、6月8日にはTikTokから姿を消した。この訴求の枠組みは、コチャリャンの選挙スローガン「ロシアが減れば、トルコが増える」と軌を一にする。対照的にYouTubeでは、フランスの伝統メディア(France 24、TV5MONDE)が「アルメニア」検索の上位を占めたが、例外として極右・親ロシア的論調と評される仏メディアOmertaが含まれ、5月5日の動画ではアルメニアをモルドバ・ルーマニアと並ぶ「マクロンの干渉先」の一つと位置づけていた。世論調査でパシニャンが最有力候補とされていたにもかかわらず、YouTube・TikTokの上位コンテンツの大半が同首相を揶揄・批判する内容であった点に、CheckFirstは政治的多様性の欠如を指摘する。
Pravdaネットワークが描く「EUの傀儡」パシニャン像
調査期間中、フランス語版Pravdaにはパシニャンまたはアルメニア選挙に言及する記事が11件確認された。これらは、親クレムリン系Telegramネットワーク「Rybar」傘下のチャンネル「Caucasar」をはじめとする情報源を組織的に転載する構造を持つ。ファクトチェック媒体Media.amによれば、Caucasarは欧州とアルメニアの偽情報対策協力を「選挙過程を操作・破壊する試み」として描く。国営通信社TASS、テレビ局Russia Today・Izvestia・Zvezda、ウェブサイトTopwarといったロシア国営メディアのTelegramおよびMax[.]ru(2025年6月にロシア政府の公式メッセンジャーに指定されたVK系新興アプリ)チャンネルも体系的に出典として用いられ、ロシア外務省情報報道局長マリア・ザハロワや国家会議(下院)議長ヴャチェスラフ・ヴォロディンの発言も直接引用されていた。
| 言説 | 主な発信源・関係者 | 具体的な主張内容 |
|---|---|---|
| EUがアルメニア選挙に干渉している | Caucasar、Pravda France | EUが親EU候補を支援し「モルドバ・ルーマニア型」の選挙操作を準備、5月の欧州政治共同体サミット出席を機にパシニャンを「グローバリストに身売り」したと非難 |
| パシニャンは反ロシア的である | Politnavigator、Boris Karpov、Zvezda | ヴォロディン議長の「パシニャンはロシアに敵対的な政策を取る」との発言を増幅 |
| パシニャンはアルツァフ避難民に冷酷である | Russia Today、Anna News系記事 | 5月18日の武装者による威嚇事件と選挙集会での避難民活動家との対立を、1933年の国会議事堂放火事件に比して描写 |
| パシニャンは親アゼルバイジャン的である | Topwar | 「Strong Armenia」候補サムヴェル・カラペティアンの主張として、対外関係の決定権が実質的にアゼルバイジャンにあると主張 |
このうち「反ロシア」言説の発信源を遡ると、Politnavigatorは反ウクライナ系の親ロシアメディアでFSB(ロシア連邦保安庁)との関係が指摘される媒体であり、そのYouTubeチャンネル登録に用いられたメールアドレスは、セバストポリを拠点とし親ロシア系メディアに頻繁に出演するロシア人記者セルゲイ・ステパノフのものであることが判明した。もう一つの主要発信者Boris Karpovは、ファクトチェックサイト「Debunkers de Hoax」によりフランス極右と近い人物とされ、仏露系「再情報化」サイトrusreinfo[.]ru/frにも執筆している。
IMS「Overload」による名誉毀損キャンペーン
専用ダッシュボードによる監視からは、IMS「Overload」が2026年4月から5月にかけて活動を強化していたことが確認された。4月14日配信のメールは、フランスの経済誌La Tribuneの表紙を偽造しゼレンスキーとパシニャンを並べた上で「マクロンはアルメニアに第二のゼレンスキーを作っている」「敗北寸前のパシニャンを救うため5万ユーロ」という文言を添えていた。このメールは複数の系列Telegramチャンネルで同時配信され、そのうち1チャンネルは別系統のロシア語アゼルバイジャン系チャンネルへ誘導しており、当該チャンネルはアルメニア人および同国の著名人(2026年4月5日に死去した記者ゾリ・バラヤンを含む)を標的に暴力的・人種差別的・性差別的な投稿を日常的に発信していた。
さらに、米国在住の反パシニャン論調で知られるアルメニア人記者が暗殺未遂の標的になったとする偽情報が、CNN報道を編集加工した動画とともにTikTokおよび主にベラルーシ系の7つのTelegramチャンネルを通じて流布された。この言説はXアカウント「@BelarusInside」によっても増幅され、調査時点で当該投稿は削除も凍結もされていなかった。調査機関The Insiderの報道によれば、Overloadと連動するクレムリン系ボット網「Matryoshka」は2025年6月という早い時期からパシニャンを標的にした活動を行っていたとされる。CheckFirstはまた、パシニャンが自身の広報担当者に暴行したとする虚偽の言説を拡散した11のTikTokアカウントを特定している。
流出資料が暴露する「Social Design Agency」によるCIS・CSTO系メディアの乗っ取り
報告書で最も独自性の高い知見の一つは、ロシアのIT企業でクレムリンと強い関係を持つ「Social Design Agency(SDA)」に関する流出スライド資料の分析である。OCCRP(組織犯罪・腐敗報道プロジェクト)が5月24日に報じた内容とこの流出資料のロゴ表記を照合した結果、独立国家共同体(CIS)加盟国向けメディアを運営してきた企業「SNG-MEDIA」の資産が、SDAによって直接乗っ取られたことが確認された。アルメニア向けサイト「erevan[.]one」もこの乗っ取り対象に含まれ、反パシニャン言説の発信拠点として動員されていた。
企業登記データの分析により、2025年8月および2026年1月に発生した株主構成の変化が、SNG-MEDIA、SDA、ニコライ・トゥピキン、イリヤ・ガンバシゼという4者を結びつけていることが判明した。トゥピキンが率いる戦略コミュニケーション機関「CASPIAN 2030」は2026年5月11日に英国の制裁対象に指定され、英国政府は同機関を「CIS地域への干渉を実行するためのSDAの新たな手段」と断定した。トゥピキンはANO DialogおよびOOO Strukturaへの関与を通じて、既知のロシア系影響力工作「Doppelganger」とも結びつけられている人物である。同様に2026年1月にはSNG-MEDIAが「CIS記者連合」の株主に加わっており、同機関はトゥピキン、SDA、SNG-MEDIA、編集主幹パヴェル・シェティニンによって完全に統制されていることが企業登記から確認された。
技術面では、SNG-MEDIA傘下の数十のウェブサイトが単一のIPアドレスへ移転していたことが確認され、同じIP上にはSDAが西側シンクタンクや報道機関の監視結果を公表するために用いてきたドメイン「asp[.]world」(登録情報には「強さとは敵の意図を知ることにある」という説明文が付されている)が存在していた。同ドメインは2026年5月、SDAの実質的な代表者とされるアンナ・アンティポワの名で再登録されている。現在このIPアドレス上には130のウェブサイトが存在し、CSTO系メディアの内容を複製する「odkb[.]world」「odkb[.]news」などが含まれる。
Storm-1516の規模とAI生成の痕跡——フランス地方選工作との基盤共有
CheckFirstは2025年11月から12月の間に、Storm-1516に連なる偽ニュースサイトを少なくとも56件確認した。これらは15の異なるレジストラと24のIPアドレスに分散して登録されており、2025年11月1日から2026年5月28日までの間に56ドメイン全体で37,370件の記事を公開し、そのうち94.9パーセントに相当する35,470件が複数サイト間の重複記事であった。投稿数は2026年1月から2月にかけて急増し、1月14日には単日で742件を記録している。
調査が特定した最も具体的な証拠は、記事本文に大規模言語モデル(LLM)の応答文そのものが残存している事例である。複数のドメインに掲載された記事には「与えられた記事のテキストを言い換えて自分の文章として提示するのを待っています」という、本来はAIへの指示に対する応答であるはずの文言がそのまま本文に紛れ込んでいた。別の事例では「与えられた名前をすべて保持しつつ出典や著者の見解への言及を避けて独立記事として提示することが課題である」という同種の文言を含む記事が確認され、また実在のアルメニアメディア「168[.]am」へのアクセス障害を伝える記事が8ドメイン208件にわたって複製されていたことから、運用者が正規メディアの記事を収集した後にLLMで書き換える手順を取っていたことが推認される。さらに、親クレムリン団体「Foundation to Battle Injustice」がパシニャンを「経済テロリズム」で非難する記事が、5月13日から14日の2日間で55ドメインに同時複製され、InfoBRICSのコラムニストを自称しロシア主導の発信網InfoRosと関係するルーカス・レイロス(VIGINUMの分析によれば、アレクサンドル・ドゥーギンに近いブラジルの団体Nova Resistenciaに所属)によってXでも増幅されていた。
調査はさらに、Storm-1516のうち17のドメインが、アルメニア向けの活動とは別に2026年のフランス統一地方選も標的にしていたことを明らかにした。これらのドメインは2025年11月・12月以降活動を停止していたが、フランスが統一地方選の時期に入った3月初旬から投稿を再開しており、登録時期の重なり(2025年10月から2026年1月)と4つのIPアドレスの共有(うちIP「151[.]80[.]21[.]75」は17のフランス向けドメインのうち8件とアルメニア向けドメイン3件の双方をホストしていた)から、両国を標的とする作戦が同一基盤上で同時に展開されたとCheckFirstは結論づける。WordPressのREST APIを用いて18サイトから収集した5,543件の記事をAnthropic社のClaude AIで分類した結果、活動は2026年3月に1,651件の投稿でピークに達し、マクロン関連の経済崩壊言説(643件)、米国政治の混乱(618件)、イラン戦争・中東不安(489件)が主要主題として浮上した。
| 政党 | フランス統一地方選関連記事における言及件数 |
|---|---|
| LFI(不服従のフランス) | 61 |
| PS(社会党) | 31 |
| ルネサンス(マクロン与党) | 14 |
| RN(国民連合) | 11 |
| 共和党 | 9 |
| 共産党(PCF) | 9 |
| 環境政党EELV | 7 |
統一地方選関連338記事のうち、犯罪・治安をめぐる言説が766件以上の記事の枠組みとして繰り出され、移民・移住(623件)、イスラーム(497件)がこれに続いた。記事はフランスの放送通信規制機関ARCOMを検閲機関として描き、ルーベ市のLFI市長が同盟者の報酬を138パーセント引き上げたとする見出しや、メランションが「メディア独占の解体」を脅したとする言説など左派政党を選択的に標的とする一方、右派・極右政党への言及は希少であった。2027年フランス大統領選への言及(79件)は、マクロン政権下での制度的崩壊や議会による大統領選中止の可能性をほのめかす不穏な論調で構成されていた。
結論——「失敗」が意味しない安全、そして同盟国への矢
CheckFirstは、2025年末以降ロシアがアルメニア国内および国際的な舞台の双方でパシニャンの落選を狙う多層的な工作を展開してきたと結論づける。流出資料を独自のOSINT調査で検証した結果は、SDAの運用者がCIS・CSTOといった既存の国際機構に紐づくデジタル資産を乗っ取ってまでパシニャンの信用を毀損しようとした事実を裏付けており、これはロシアが自国の同盟国に対してさえ秘密の情報操作を実行する意思を持つことを示す点で重い意味を持つ。クレムリン系主体に加え、アルメニア人ディアスポラやアゼルバイジャン側のアクターもAIを駆使した偽情報動画を独自に展開していた。
CheckFirstはさらに、ロシア政府がTelegramに規制をかけた直後から公式アプリとして指定したMax[.]ruが、Telegramと並んで「Overload」「Pravda」といったIMSの言説拡散経路として用いられている実態を指摘する。SDAとStorm-1516の連関を示す流出情報は、親EU路線を掲げる候補・政党を標的とした協調的な工作という仮説を補強するものであり、これらの作戦全体は、ロシア政府および大統領府に近い高位の主体の関与を示唆する。アルメニアとフランス両国を標的としたドメイン登録の重複は、経済的苦境や民主的手続きへの不信を梃子にロシアの世界的な影響力戦略が展開されている実態を改めて示している。

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