EEAS『2025年 人権と民主主義に関する年次報告書』にみる偽情報・情報操作対策——選挙監視から新技術章、FIMI対策までの構造分析

EEAS『2025年 人権と民主主義に関する年次報告書』にみる偽情報・情報操作対策——選挙監視から新技術章、FIMI対策までの構造分析 情報操作

 本稿が扱うのは、欧州対外行動庁(EEAS、European External Action Service)が作成し、EU外務・安全保障政策上級代表兼欧州委員会副委員長カヤ・カラス(Kaja Kallas)名で公表された“2025 Annual Report on Human Rights and Democracy in the World”(2025年 人権と民主主義に関する年次報告書)である。全208ページ。この報告書は単独の調査文書ではなく、EUが2020年に採択した人権・民主主義行動計画(本文中では「2021-2027」という表記も用いられ、写真キャプションでは「2020-2027」とも記載されており、両者が併存する)の年次実施報告として、欧州議会に提出される制度上の文書である。報告書自体が明記する通り、個々の事案を網羅的に記録するものではなく、2025年にEUおよび加盟国が「チーム・ヨーロッパ」として実施した施策の事例集という性格を持つ。

 構成は5章からなる。第1章「個人の保護とエンパワーメント」(死刑廃止、拷問禁止、人権擁護者保護、表現の自由など)、第2章「強靭で包摂的、民主的な社会の構築」(議会機能強化、選挙監視、メディア支援、紛争予防)、第3章「人権と民主主義のためのグローバルシステムの推進」(多国間・地域間協力、二国間対話、ビジネスと人権)、第4章「新技術:機会の活用と課題への対応」(AI、情報の健全性、インターネット遮断)、第5章「連携による実施」(広報外交、FIMI対策、行動計画の実施・監視・評価)という構成である。

 偽情報(disinformation)と外国による情報操作・干渉(FIMI、Foreign Information Manipulation and Interference)に関する記述は、この5章構成のどこか一箇所に集約されているわけではない。第1.3節「表現の自由とジャーナリストの安全」、第2.1節「選挙プロセスの監視」、第2.3節「独立・多元的メディアの支援、情報アクセス、偽情報対策」、第4章「新技術」、第5.1節「FIMI(外国による情報操作・干渉)」の5箇所に分散して記述されている。この分散配置は編集上の偶然ではなく、報告書が2025年11月に採択した「欧州民主主義シールド」(European Democracy Shield)の政策設計と対応している。第2.1節の冒頭で報告書は、同シールドが「情報空間の健全性を守るための状況認識と対応能力の強化」「民主的制度・自由で公正な選挙・自由で独立したメディアの強化」「社会の強靭性と市民参加の促進」という3つの優先分野を軸とすると明記しており、この3分野構造が、報告書全体における偽情報関連記述の配置ロジックそのものになっている。

 序文でカラスは「世界的に人権と民主主義は後退している」と述べたうえで、「民主主義を弱体化させる試みはより大胆かつ組織的になっており、しばしば独裁者の定石を踏襲している。すなわち、大規模な偽情報と情報操作の展開、メディアの統制、人権擁護者の沈黙化、ジェンダー平等・多様性・多元主義への反撃である」と記す。この序文の一文が、報告書全体を貫く偽情報の位置づけ——単発の技術的問題ではなく、権威主義的統治手法の構成要素の一つ——を示している。

表現の自由とジャーナリストの安全(第1.3節)

 第1.3節は、独立メディア支援を「民主社会の柱」と位置づけたうえで、具体的な資金規模を列記する。Global Europeテーマ別プログラム(人権・民主主義分野)のもとで、2025年末までに56か国で100件を超えるプロジェクトが独立メディア支援として開始された。2025年5月には、ラジオ・フリー・ヨーロッパ(Radio Free Europe/RFE/RL)への資金が突然打ち切られたことを受け、EUは緊急資金として550万ユーロを拠出した。西バルカン・トルコ向けの加盟前支援手段(IPA)では、独立メディア・メディアリテラシー・ファクトチェック団体への支援として2025年に約4000万ユーロが計上された。2025年12月には、東方パートナーシップ諸国における偽情報・FIMI検知・対策のための新規プログラム(500万ユーロ規模)が欧州委員会により立ち上げられた。

 制度面では、2025年8月に欧州メディア自由法(European Media Freedom Act)が適用開始となり、EU域内のメディア・ジャーナリストに対する不当な圧力からの保護を強化する法的枠組みが整った。世界報道自由デー(5月2日)には上級代表が声明を発出し、ジャーナリストへの犯罪不処罰根絶国際デー(11月2日)にはEU機関連名の声明が、デジタル空間における組織的嫌がらせ・不法監視・信用失墜キャンペーンの増加への懸念を表明した。

 報告書はEU加盟候補国・潜在的候補国におけるモニタリング結果として、改善が見られる一方で「メディアの集中と政治的影響力、FIMI活動への広範な露出」が依然として当該国のメディアセクターを特徴づけていると記す。ジャーナリストへの威嚇は、公共参加を妨げるための戦略的訴訟(SLAPP)、脅迫、報復、身体的攻撃を含み、複数国で拘束事例が増加したとされる。これに対する対応として、ProtectDefenders.euメカニズムが人権擁護者としてのジャーナリストへの緊急支援・避難・能力構築支援を提供しており、2025年には少なくとも686人のジャーナリストが同メカニズムの支援を受けた。

選挙監視ミッションと偽情報の交錯(第2.1節)

 第2.1節は、選挙監視を「民主主義の後退が進み、威嚇・偽情報・選挙の健全性への挑戦が高まる時代における、民主的正統性を担保する中核的な安全装置」と位置づける。2025年のEU展開ミッションは以下の通り17件である。

ミッション種別件数対象国・地域
選挙監視ミッション(EOM)7件コソボ、ボリビア、エクアドル、ガイアナ、ホンジュラス、マラウイ、フィリピン
選挙専門家ミッション3件コソボ、イラク、スリナム
選挙フォローアップミッション7件コロンビア、グアテマラ、ケニア、レソト、モルディブ、ナイジェリア、東ティモール

 報告書は、EU選挙監視が「敵対的な環境」に直面し続けたと明記し、「偽情報を燃料とするキャンペーンが選挙プロセスへの市民の信頼を蝕んでいる」現状を指摘する。具体例として、CELAC(ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体)地域における4件のEOM(エクアドル、ボリビア、ガイアナ、ホンジュラス)が挙げられ、「政治的分極化、偽情報、選挙不正の言説の拡大というグローバルな傾向はこの地域も免れていない」としたうえで、エクアドルでは両主要候補が主張した広範な不正疑惑を、EU EOMが払拭する役割を果たしたこと、ボリビアでは過去の選挙で論争の的となっていた速報結果送信システムへの信頼をEOMが向上させたことが報告されている。ボリビアについては独立コラムも設けられ、2025年11月のロドリゴ・パス大統領就任(約20年に及ぶ単一政党優位の終焉)を、公的機関全般への不信が広がる中での前例のない決選投票を経たものと位置づけ、EU EOMが「よく組織され競争的な選挙」と結論づけたことを記す。

 モルドバの事例はより具体的である。地域プログラムPro-Elect(実施団体:Transatlantic FoundationおよびEqual Rights and Independent Media)のもとで、市民社会の独立選挙監視能力が強化された。EUはPromo-Lexを支援し、2025年議会選挙で選挙当日に短期監視員230人を全国展開させた。EU支援は「選挙前の戦略的コミュニケーションと偽情報対策」にも及び、現地CSOが戸別訪問による有権者啓発活動を実施した。並行して「民主主義の盾:能力と強靭性強化によるモルドバの選挙の健全性強化」プロジェクトが、中央選挙委員会のサイバー脅威・偽情報・FIMI・SNSキャンペーン干渉への対応能力を強化した。

 チーム・ヨーロッパ民主主義イニシアチブ(TED、Team Europe Democracy)はEU加盟14か国が参加する枠組みで、2025年には「グローバル民主主義国家報告書2025」「世界報道自由指数2025」「V-Dem2025年次報告書」「AIと選挙運営に関するIDEA報告書」といったデータの収集・公表を支援した。400人超の実務者ネットワークを通じ、反腐敗・土地権紛争・「情報の健全性と偽情報対策」をテーマとするウェビナーを実施している。

メディア支援と情報の健全性政策(第2.3節)

 第2.3節は、5つの節の中で唯一「偽情報対策」を節タイトルに明記した箇所である(”Supporting independent and pluralistic media, access to information and the fight against disinformation”)。2025年の新規展開として、TEDのもとに「情報の健全性に関する作業部会」が設置された。これはEU、加盟国、メディア開発団体、関連国際機関、その他ステークホルダーを集めた枠組みであり、報告書はこれを「よりよい調整」を実現する仕組みとして位置づけている。

 地域別の展開は以下の通りである。MENA地域では”Bousolah”および”Core Support to Independent Media in the Southern Neighbourhood”という2つの地域プログラムを通じ、独立系メディアの持続可能性支援、ファクトチェック、政策対話に加え、「偽情報とヘイトスピーチへの対抗に不可欠なネットワーキング機構」の構築が進められた。東南アジアでは、Internewsが実施する”Indo-Pacific Media Resilience(IPMR)”プログラムが、インドネシア・ラオス・マレーシア・フィリピン・スリランカ・タイの現地報道機関と連携し、能力構築研修・メンターシップ・地域会合・メディア事業持続可能性ブートキャンプを通じて、現地メディアがFIMIと偽情報に対抗できる体制の強化を図った。ラテンアメリカ・カリブ地域では、二国間・地域枠組みを通じ、偽情報の言説・行為者・戦術の特定、メディアリテラシー促進、ファクトチェックネットワーク支援が実施された。

 2025年11月には、デンマークのEU理事会議長国主催、EU支援、UNDP共催による「情報の健全性に関するコペンハーゲン会議」が開催され、政策立案者・市民社会・独立メディア・テック企業が情報の健全性への脅威への代替的な対応策を議論した。会議に合わせ、International Media Supportが情報の健全性に対する主要な脅威への実践的対応をまとめた「ソリューションペーパー」シリーズを発表した。この会議はデンマーク・EU・ノルウェーによる旗艦パートナーシップ「デジタル民主主義イニシアチブ」の実績を基盤としており、同イニシアチブはラテンアメリカにおける技術を介したジェンダーに基づく暴力対策、サヘル諸国における若者のデジタル市民参加強化、環境侵害と闘う先住民系市民社会アクターの保護、デジタル上の脅威に直面する市民社会・ジャーナリストへの緊急支援、インターネット遮断への国際的な提言を含む。インターネット遮断問題については、V-Dem研究所がTED向けの政策提言文書を発表している。

 欧州民主主義基金(EED、European Endowment for Democracy)は2013年設立以来、欧州近隣地域を中心に民主化アクター・活動家・独立メディアを支援してきた。2025年初頭のUSAIDによる世界的な資金撤退の影響に対し、EEDは助成金申請件数が倍増する中で迅速に対応し、最も危機に瀕したアクターへの緊急つなぎ資金と、独立ジャーナリスト向けの短期緊急支援のセーフティネットを整備した。シリアでは民主化の機運を捉えた迅速対応支援、モルドバと西バルカン地域ではメディアの自由と市民社会の強靭性強化、ウクライナではロシアの侵略下での市民社会の強靭性支援と反腐敗機関の内部からの弱体化への対抗、西バルカン地域ではファクトチェック・有害な言説対策・倫理的ジャーナリズム促進のプロジェクトが展開された。

新技術章:AIガバナンスと情報の健全性の国際枠組み(第4章)

 第4章の冒頭は、デジタル技術が教育・雇用・情報・医療へのアクセスを改善する一方で、「オンラインでの偽情報とヘイトスピーチの拡散、監視と検閲の実現、AIシステムによる不平等の増幅」をもたらしうると明記する。Horizon Europeのクラスター2は、デジタル技術が民主主義に与える影響への対応として、民主的強靭性の強化・偽情報対策・安全なデジタル参加の促進に資する研究・イノベーションに資金を提供している。

 国際的枠組みへの関与としては、2024年9月に「未来のための協定(Pact for the Future)」の附属文書として採択された「グローバル・デジタル・コンパクト(GDC)」の実施フォローアップにEUが積極的に関与し、2025年1月に新設された国連デジタル・新興技術局(ODET)を歓迎した。2025年8月には、AIに関する独立国際科学パネルとAIガバナンスに関するグローバル対話の設置を定める国連決議(A/RES/79/325)がコンセンサスで採択され、EUはこれを強く支持した。2025年はWSIS(世界情報社会サミット)の20周年にあたり、WSIS+20レビューが実施された。

 2025年10月には、コペンハーゲンでアジア欧州会合(ASEM)人権セミナー「人権と人工知能」が開催され、アジア・欧州から100人超の専門家(政府・市民社会・学術界・民間セクター)が参加し、人権担当EU特別代表カイサ・オロンレンが基調講演を行った。同年2月24日から27日にはデジタル時代の人権に関する国際的な主要サミット「RightsCon」が、EUの共同資金提供のもと初めて東アジア(台北)で開催され、155か国から3200人超が参加。テーマはデジタル権利分野の資金縮小、デジタル空間における戦争、AIとプラットフォームの説明責任であった。国連総会第80会期およびCOP30でも情報の健全性が取り上げられ、9月には国連が情報の健全性に関する最初のブリーフを公表している。

 具体的な国際的コミットメントとしては、OHCHRが実施する「デジタル権利の推進と保護:デジタルな未来への道筋」プロジェクトがある。UNESCOのデジタルプラットフォームガバナンスに関するガイドラインの実施をEUが支援した結果、2025年9月には西アフリカ・サヘル諸国が「プライア政策枠組みと情報の健全性のための行動計画」に署名した。同月にはカーボベルデで西アフリカ・サヘル地域会議が開催され、規制当局・市民社会・メディア・テック企業が参加し、情報エコシステム保護のための地域協力ロードマップが採択されている。

FIMI対策と戦略的コミュニケーション(第5.1節)

 第5.1節は、2025年11月12日に採択された「欧州民主主義シールド」に関する共同コミュニケーションを軸に構成される。このシールドは、EUの対外行動を含めFIMIを検知・分析・対応・対抗する能力を強化する具体的施策を含み、その実施を支えるために「欧州民主主義強靭性センター」(European Centre for Democratic Resilience)が新設される。同センターは、FIMIや偽情報といった共通の脅威を予測・検知・対応し、これに耐える集団的な状況認識能力をEU全体で高めることを目的とする。

 2025年2月には、EEASが第3回FIMI脅威報告書を公表した。この報告書は、FIMI関与者が構築するデジタルインフラと資金力のあるネットワークを明らかにし、FIMI作戦を暴露しコストを引き上げるための枠組みを提示するとともに、「情報抑圧」(information suppression)の役割を強調している。

 EUvsDisinfoプラットフォームは2025年に3900万人超にリーチし、親クレムリン系FIMI・偽情報キャンペーンを追跡・反証するジャーナリスト・研究者・学者らに利用され、19000件超の事例を記録した。報告書に掲載された「FIMI銀河系」(FIMI Galaxy)図は、ロシア系・中国系のインフラと帰属不明のネットワークが連携し、地域を横断してコンテンツを増幅させる構造を可視化したものである。EUvsDisinfoは年間を通じ、偽情報活動におけるヘイトスピーチの利用を監視・暴露し、ベラルーシ政権をはじめとするEU近隣地域の権威主義的アクターによる人権侵害を記録した。シリアでは、ドイツ国際放送(Deutsche Welle)が実施する「シリア安定化のための情報供給とメディア信頼の確保」プロジェクト(22万5000ユーロ規模)を通じ、持続する偽情報とヘイトスピーチの問題への迅速な対応資金がEUから拠出された。

総括:報告書が示す構造的認識

 序文でカラスが偽情報・情報操作を「独裁者の定石」の筆頭に位置づけたことは、単なる修辞ではなく、報告書全体の編集構造に反映されている。表現の自由・ジャーナリスト保護(第1.3節)、選挙監視・選挙支援(第2.1節)、メディア支援と情報の健全性(第2.3節)、AI・プラットフォームガバナンス(第4章)、FIMI対策の専門インフラ(第5.1節)という5箇所への分散配置は、2025年11月に採択された欧州民主主義シールドが定める3つの優先分野——情報空間の状況認識と対応能力、民主的制度・選挙・メディアの強化、社会の強靭性と市民参加——にそれぞれ対応している。

 2025年を特徴づける最大の制度的変化は、対症療法的なプロジェクトベースの支援(メディア資金拠出、ファクトチェックネットワーク支援、選挙監視ミッション派遣)から、恒常的な分析・対応インフラの構築への転換である。欧州民主主義強靭性センターの新設、EEAS第3回FIMI脅威報告書による「FIMI銀河系」という関係者マッピング手法の提示、EUvsDisinfoの19000件超の事例データベース化は、脅威の実態把握を継続的な監視・分析体制として制度化しようとする動きを示している。同時に、米国のUSAID資金撤退という外的ショックが、EED・独立メディア支援の資金基盤の脆弱性を露呈させ、EUが緊急資金拠出(RFE/RL向け550万ユーロ、EED申請倍増への対応)によって代替的な支援基盤としての役割を強めた点も、2025年という年を特徴づける具体的な動きとして報告書に明記されている。

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