米国務省GECの年次報告──偽情報対策の最前線をどう描いているか

米国務省GECの年次報告──偽情報対策の最前線をどう描いているか 情報操作

 2025年7月に国務省が議会に提出した「Global Engagement Center(GEC)評価報告」は、表向きは定型的な年次報告に見える。しかし実際には、アメリカがどのように外国勢力の偽情報に向き合っているのかを、事例を交えて示した重要文書になっている。対象はロシア、中国、イラン、テロ組織と明示され、それぞれに対する「暴露」「対抗」「国際的連携」の取り組みが細かく書かれている。


GECとは何か──「唯一の専業機関」という自己定義

 報告書がまず強調するのは、自分たちの「比較優位」だ。GECは2017年国防権限法に基づき設立され、米政府の中で唯一、外国の偽情報に専業で取り組む組織だと述べている。外交と安全保障の交差点に位置し、ロシア語・中国語・ペルシャ語・アラビア語に堪能な人材を揃え、国家レベルでの偽情報工作に対応できる体制を誇示する。

 さらに注目すべきは、「プリバンキング(pre-bunking)」という手法の導入だ。偽情報が広がる前に「予防接種」のように先回りして対抗するやり方で、The Economist や Washington Post にも取り上げられた。単なる「ファクトチェック」から一歩進んだ、戦略的な発想を前面に出している。


国際枠組み──FrameworkとFION

 GECの活動の大きな柱が「枠組みづくり」だ。2023年に立ち上げた Framework to Counter Foreign State Information Manipulation にはすでに16か国が賛同し、今年度末までに25か国に拡大すると見込まれる。例えばドイツは2025年選挙に向けて60人体制の専門部隊を設ける計画を発表しており、モルドバは大統領府に「戦略的コミュニケーション・偽情報対策センター」を新設する予定だ。小国から大国まで、それぞれが「国家レベルで偽情報に対抗する仕組み」を作ろうとしている。

 もうひとつの注目は、米EUが共通で開発する Foreign Information Operations Network(FION) だ。これは「偽情報のインスタンス」を標準化して共有する試みで、アストロターフィング、ボットネット、ハッシュタグ・ハイジャックといった手口を定義し、双方が共通の言葉で観測・分析できるようにしている。NATOや欧州諸国の参加も視野に入れ、米政府は「偽情報の言語」を同盟国に浸透させようとしている。


ロシアの事例──アフリカからラテンアメリカまで

 ロシア関連の暴露レポートは量も質も際立つ。

  • アフリカ:「African Initiative」という新しい情報機関が、西側の保健プロジェクトを標的に危険な健康偽情報を広めていたことを暴露。西アフリカで蚊媒介ウイルスの流行を「米製薬会社の陰謀」と結び付けるキャンペーンまで展開していた。GECの推計では3億8千万人にリーチしたという。
  • ワグネル・グループ:中央アフリカ共和国で「平和をもたらすロシアの教官」と称する虚構を徹底的に解体。実際には虐殺と弾圧を繰り返していることを具体的に示した。
  • ラテンアメリカ:2023年には、ロシア政府がアルゼンチン、メキシコ、ブラジルなどを狙い、地元メディアを通じて偽情報を「有機的」に見せかけて拡散させていた資金の流れを公開。ソーシャル・デザイン・エージェンシーなど「インフルエンス請負企業」が関与していることまで示した。

 さらにブラジルの「Nova Resistência」という極右運動とロシアの思想家アレクサンドル・ドゥーギンのネットワークを結びつけ、50人の党員追放にまで至った事例は、偽情報が「思想運動」として現地に根を下ろす危険性を浮き彫りにしている。


中国の事例──「世界の情報環境再形成」

 中国関連では2023年の特別報告書「How the PRC Seeks to Reshape the Global Information Environment」が核になる。これは3.4億人に届いたとされ、世界中のメディアで1500本以上の記事になった。

 さらにCSISとの協力でまとめた「Deep Blue Scars」は、南シナ海での中国活動が環境破壊を引き起こしていることを科学的に示した。フィリピンのマルコス大統領に直接ブリーフィングされ、PRC大使館が「根拠がない」と抗議する事態にまで発展。ここでは偽情報対策が単なる「情報」ではなく、外交的駆け引きの道具になっていることがよくわかる。


イランとテロ組織──情報の逆利用

 GECはイスラム国(ISIS)の指導者アル・マウラが過去に仲間を裏切っていた記録を56本の尋問報告書として公開した。これにより「The Destroyer」と呼ばれていた人物のイメージは一転し、今では「裏切り者」として語られるようになった。偽情報対策というより、敵対組織内部での「信頼」を壊す心理戦の一環だ。

 またナイジェリアとニジェールでは「Time to Tell the Truth」キャンペーンを展開し、ラジオ番組やアニメで武装組織のプロパガンダ手口を暴露。400万人以上に届き、極端派メッセージの露出を19%減少させたという。


新技術への備え──生成AIとの闘い

 生成AIによるディープフェイクや合成音声は「次の戦場」と見られている。GECは「Emerging Tech Report」シリーズを毎月発行し、合成メディア検出やコンテンツ認証技術を解説。NISTやODNIが参考文書として採用している。

 さらにアフリカの若者向けに「農業と気候偽情報検証アプリ」を展開するなど、技術的なソリューションを現場に届けている。AIが作り出す偽情報をAIで防ぐ、という構図がすでに実装段階に入っているのが印象的だ。


予算と組織運営

 2023年のGEC予算は5700万ドル、さらにウクライナ関連で3300万ドルが追加された。契約社員を直雇用に切り替えることで年間1750万ドルを節約、余剰を「暴露」や「レジリエンス強化」に再投資している。こうした数字は、他国の対偽情報機関と比較する際に有益なベンチマークになる。


まとめ──報告書の性格に注意

 このレポートは、国務省が議会に提出する義務的な評価報告であり、大統領の承認文書ではない。したがって、2025年現在のトランプ政権の外交方針と自動的に一致しているわけではない。むしろ、ロシア関連では方針のズレが際立つ可能性もある。

 それでも、この文書を読むことで見えてくるのは、「米政府が具体的に何を暴露し、どのように同盟国を巻き込んでいるか」という偽情報対策の実像だ。抽象的なスローガンではなく、アフリカの現地記者や南シナ海の環境報告、ナイジェリアのラジオ番組といった具体例が並んでいるのが、このレポートの面白さだろう。

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