ニュージーランドの研究機関Koi Tū(Centre for Informed Futures)が発表した報告書「News Deserts: Local journalism at risk」(2025年9月、Gavin Ellis著)は、「ニュース・デザート」という概念を軸に、ローカルジャーナリズムの危機を整理している。ニュース・デザートとは、地域社会の人々が民主的な参加に不可欠な、信頼できるローカルニュースに継続的にアクセスできない状態を指す。新聞や放送局が存在するかどうかではなく、実際に公共性のある情報がきちんと届けられているかが焦点だ。見かけだけ存続していて中身が薄い“ゴーストペーパー”“ゾンビペーパー”もデザートに含まれる。
なぜ問題なのか
報告書は、ニュース・デザートが広がることで地域社会にどのような影響が出るのかを、数多くの実証研究に基づいて示す。地域紙が消えた地域では、住民の政治的知識や投票参加が低下し、自治体の財務監視が弱まり、結果として借入コストが増す。地方政治家の汚職や説明責任の低下も報告されている。また、情報の偏在によって、低所得地域が政治的に取り残される傾向が強まる。さらに、ニュース空白を突いて、低品質な「擬似ローカルニュース」や、AI生成コンテンツによる偽情報が流入しやすくなる。これは単なる情報不足ではなく、民主主義と地域社会の健全性を根底から脅かす構造的問題として描かれている。
国際的な事例
報告書は各国の取り組みも比較する。オーストラリアでは政府が1.8億豪ドルを投じ、地域ニュースやコミュニティラジオを支援する枠組みを構築した。英国ではBBCが「Local Democracy Reporting Scheme」を通じて165人の記者を雇用し、全国の地方自治体を取材対象にしている。カナダでは、登録ジャーナリズム団体(RJO)制度と雇用税控除を組み合わせ、持続的な支援を行っている。米国は州ごとに多様な制度実験が進み、カリフォルニアでは政府広告をコミュニティメディアに優先的に出す法律まで作られた。EUやアイルランドも助成金や税制優遇を組み合わせ、さまざまなモデルを試行している。
共通しているのは、ジャーナリズムを「公共財」として再認識する動きだ。単に市場に任せるのではなく、政府、財団、大学、公共放送など複数の主体が関与し、長期的に安定した資金を確保することが重要とされている。
偽情報との結びつき
報告書が特に強調するのは、ニュース・デザートと偽情報の親和性だ。米国では「ピンクスライム」と呼ばれる擬似ローカルニュースサイトがすでに1,200を超え、地方紙の数を上回っている。見かけは地域紙だが、実態は党派的なプロパガンダや商業目的の記事をAIで大量生産しているケースが多い。2024年には親ロシアの偽情報ネットワークの多くが「地域ニュース」を装っていたことも報告されている。地域の空白を突いて、偽装メディアが住民の関心に入り込みやすい構造がある。
ニュージーランドの現状
ニュージーランドでも状況は急速に悪化している。2024年以降、Newshubの閉鎖(約300人規模)、TVNZの大幅縮小、Whakaata Māoriのニュース番組終了、Sunday Newsの終刊など、主要媒体の縮小が相次いだ。オンラインメディアも資金難に直面し、The Spinoffは存続のため緊急支援を呼びかけた。国内の現職ジャーナリスト数は、米国ニューヨーク・タイムズ一紙の記者数よりも少ないという象徴的な状況が示されている。しかも、ニュース・デザートを地図化するプロジェクトすら整備されておらず、どこに情報空白があるのかすら把握できていないのが現実だ。
広告モデルの崩壊
背景には広告モデルの崩落がある。かつて地方紙を支えていた広告収入は、GoogleやMetaといったデジタルプラットフォームに吸い取られた。ニュージーランドでは2024年時点で、新聞広告収入は1990年代の3分の1以下に縮小し、購読料で穴を埋めることは難しい。地方自治体による公示広告が撤退すれば、残された最後の収入源まで失われる。こうした構造的要因がデザート化を加速させている。
解決策の方向性
報告書は単一の解決策ではなく、多層的な組み合わせを提案する。まず支援対象を厳密に定義し、ピンクスライムのような偽装ローカルを排除すること。次に、基金の創設や税制優遇によって地域メディアを直接支援すること。地方公示広告をローカル媒体に義務的に出す仕組みや、中小企業の広告支出を税控除する制度も有効とされる。大学や公共機関をハブにして、編集・配信・会員管理・広告などを共同化するモデルも有望だと紹介される。AIはあくまで補助的な道具であり、廉価な代替と見なすべきではない、と警告している。
まとめ
「ニュース・デザート」は遠い国の特殊な問題ではなく、すでにニュージーランドを含む先進国全般で広がっている現象だ。これは単なるメディア産業の経済的課題ではなく、民主主義の基盤に関わる問題である。報告書が描くように、ニュース空白を放置すれば、偽情報とプロパガンダがその隙間を埋め、住民の知識、参加、公共監視、社会的結束すべてが損なわれる。だからこそ、公共財としてのジャーナリズムをどう守り、再構築するのかが喫緊の課題になっている。
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