EU DisinfoLabのファクトシート Disinformation landscape in Italy は、偽情報を「真偽判定の対象」として切り分けるより先に、政治・社会の実在の出来事が、誤情報・誇張・党派的フレーミングによって別の文脈に置き直され、公共の議論で別の意味を帯びていく過程を、具体の連鎖として示す。出来事の記述から入り、語りの型、担い手、制度の順に進むことで、イタリアの情報環境がどの争点で、どの形式で歪みやすいかが、固有名詞と時系列で残る。
まず押さえるべきイタリアの情報環境
イタリアの偽情報は、荒唐無稽な作り話が単独で拡散するというより、現実の出来事・制度・対立軸に、誇張、歪んだ文脈付け、情動的表現が重ねられる形で成立しやすい、と整理される。政治的分極化が強い環境では、真偽の境界が曖昧な情報が「使える形」に加工され、移民、市民的権利、国際紛争のような争点は継続的に武器化される。対応する主体は存在するが、執行は一般法の寄せ集めやEUの整合メカニズムに依存し、通信規制当局AGCOMなどが関与していても、ハイブリッド脅威に対する統合的な国家戦略は発展途上にある、という前提がまず置かれる。
象徴的事例
事例1:Global Sumud Flotilla(2025年)
2025年、Global Sumud Flotillaと呼ばれる市民社会主導の国際的船団が組織され、地中海の複数港から約50隻の小型・中型船舶が出航した。目的はガザへの人道支援物資(食料、医薬品、緊急物資)を届けること、イスラエルによるガザ海上封鎖への抗議、人道回廊の開設要求である。ファクトシートは、59人のイタリア市民が参加していたこと、航行が一貫して国際水域内で行われていたことを事実関係として置く。
この現実の上に、異なる経路の歪みが重なる。保守系紙 Il Tempo が「ハマス資金提供」を主張し、右派紙 Il Giornale が「攻撃は活動家による自作自演」という筋書きを流す。さらに国防相Guido Crosettoが「イスラエル領水に向かった」と発言し、外相Antonio Tajaniが「イスラエル領土に接近した」と述べるが、ファクトシートはこれらが事実と異なるとする。パレスチナ国旗で船が覆われたかのように見せる生成画像、Global Sumud Flotillaを装うなりすましアカウント、テロ組織との関係や違法行為を示唆する投稿も付け加わる。人道支援という出来事が、資金提供説、自作自演説、閣僚発言、生成画像、なりすましの束として、安全保障上の脅威へと位置づけ直されていく。
事例2:国籍法改正レファレンダム(2025年6月)
2025年6月8–9日、国籍法改正を問う国民投票が実施された。改正案は、帰化の居住要件を10年から5年に短縮すること、ius scholae(イタリアで一定の教育課程を修了した外国出身の子どもに国籍付与)を導入することを含む。一方で、語学力、安定した収入、犯罪歴がないことなどの要件は維持される想定だった。
結果は、投票者の多数が賛成であったが、定足数未達で無効となった。この過程では、与党「イタリアの同胞」幹部Tommaso Fotiが「イタリアの国籍法は欧州で最も寛容」と主張し、居住要件短縮が不法移民増や統合崩壊を招くという語りが反復される。さらに複数の右派政治家が、定足数到達を防ぐため棄権を公然と呼びかけた点が重要な出来事として置かれる。X上ではヘイトスピーチ、敵意的ナラティブ、偽アカウントが増幅し、Factaが「公共討議を毒する」と表現したことも紹介される。制度設計(定足数)と争点化された言説が絡み、賛否の議論以前に投票行動が戦略化されていく。
事例3:Pravdaネットワーク(2023–2025年)
ロシアと関係するPravdaネットワークは、欧州の正規ニュースを模倣する多数の偽ニュースサイト群として描かれる。イタリア語またはイタリア向けに調整された記事、生成コンテンツ、ドメイン構造の複製、複数プラットフォームでの増幅といった運用要素が並ぶ。内容はウクライナ、EU制裁、NATOなどをめぐる親クレムリン系ナラティブで、イタリアが繰り返し標的化されている環境として欧州委員会の分析が参照される。ニュースの外観を持つ情報が、模倣・生成・複製・増幅の組み合わせで量産され、言語圏に浸透していく仕組みが具体化される。
事例4:メローニ首相への偽装電話(2023年9月)
2023年9月、ロシアのコメディアンVladimir KuznetsovとAlexei Stolyarov(通称Vovan & Lexus)がアフリカ連合関係者を装い、Giorgia Meloni首相に電話し、通話を録音して公開した。音声にはウクライナ戦争への疲労感や反転攻勢への悲観的見通しが含まれる。ファクトシートはこれを外国による情報操作・干渉(FIMI)の典型例として位置づけ、NATO防衛費を国内総生産比2%へ引き上げる決定の数週間前という政治的タイミングも併記する。国家中枢の発言を「引き出し」、切り出し可能な素材として再利用する作動が、出来事として提示される。
分野別に見る「繰り返される語り」
ファクトシートは、事例で見えた作動が分野ごとに反復されることを整理する。焦点は、争点ごとにどの型で歪みが生じやすいかである。
国内政治
対立相手を非正統化し、分断を拡大し、民主的討議を歪めるためにナラティブが作られる。断片化したメディア生態系の下で編集基準が不均質になり、党派性の強い媒体が増殖しやすい。ミームや生成コンテンツのような情動的で拡散適性の高い形式が重なり、事実/虚構の境界が曖昧なまま拡散が定着する。複雑な論点は党派的スローガンに還元され、ニュアンスが剥ぎ取られ、怒りが増幅される。
外交
外交は国内政治の代理戦になりやすく、二元論が肥沃な土壌を作る。国外の受け手の政治アジェンダのために「イタリア」がピボットとして扱われ、虚偽のイタリア像が作られる場合があるとも書かれる。親クレムリン系言説は右派の権威主義志向と左派のソ連期ノスタルジーの両端で共存し、ウクライナ侵攻への寛容や誤情報を支える。イスラエル・ハマス紛争では双方に偽情報が出回り、親パレスチナ運動が事実歪曲や反ユダヤ主義へ逸脱する場合と、緊張がイスラモフォビアを煽る場合が並記される。Italexit、反NATO、反大西洋主義といった欧州懐疑の底流が危機時に再浮上するという指摘も置かれる。
移民・排外主義
移民は最も悪用されるテーマとして描かれる。中東・北アフリカ地域からの主要流入経路という地理的条件が背景にあり、移民・難民・少数民族が「犯罪者」「文化的脅威」「侵略の一部」として恐怖と他者化のナラティブで表象される。数字は誇張され、文脈から切り離される。Open Arms事件では、内相だったMatteo Salviniが147人の移民の上陸を19日間阻止し、その後の裁判を「国家主権を守ったことへの迫害」と枠付けた。
アルバニアの「移民センター」計画では、メローニ政権が構想を誇大に語った一方、政策はほぼ崩壊し、移送は数十人規模にとどまり、裁判所が繰り返し違法判断を下し、最終的に全員がイタリアへ戻された。他方で野党側も、費用がほぼ10億ユーロに達するという主張を行ったが、それも不正確で過大だった。争点が政策実態とは別に、歪んだ数字と評価語をまとい続ける過程が示される。
ジェンダー・アイデンティティ
民主党書記Elly Schlein、欧州議会議員Ilaria Salis、ジャーナリストCecilia Salaが攻撃対象として例示され、ミソジニー的ミーム、加工コンテンツ、信用攻撃による中傷キャンペーンが指摘される。同型の攻撃がLaura Boldrini、Cécile Kyengeといった公的人物にも見られたことが列挙される。個人攻撃が政治コミュニケーションの一部として沈殿している、という描写である。
ジェンダーに基づく暴力が国家的危機である一方、現政権の一部が家父長制の存在自体を否定し、構造問題を個人責任へすり替える語りを広めるという記述が続く。同性愛家族やLGBTIQ+の権利を標的にした偽情報は、少数者の権利を正統性のないものとして描き、フェミニズムやクィア運動を国民的価値への脅威として枠付ける。性教育や生殖医療アクセスをめぐっては「ジェンダー理論」という語が恐怖喚起の道具として使われ、学校の性教育反対やリプロダクティブ・ケアへのアクセス縮減へ動員される。
気候・健康
気候分野では、偽の気温データ、都合の良い気象事象の切り取り、グリーン政策コストの誇張が挙げられる。健康分野では、反ワクチン運動や公衆衛生に関する陰謀論がCOVID-19後も持続し、新しいナラティブへ適応する形で残存する。科学機関への不信はバイラルな陰謀コンテンツによって増幅され、月面着陸否定や地球平面説支持といった例が、著名人・インフルエンサーを媒介する事例として挙げられる。
対抗主体の一覧
ファクトチェック、観測、規制、権利保護に関わる主体が並置される。ANSAは通信社としてファクトチェックをANSA Verifiedとして運用し、2025年5月以降IFCN署名団体となった。ANSAcheckcheckはブロックチェーン技術で情報品質を「認証」する試みとして紹介される。草の根ではBufale.net、BUTACが並び、Facta(Pagella Politicaと同チーム、IFCN署名、欧州ファクトチェック基準ネットワーク認証、Meta公式パートナー)とPagella Politica(政治家発言検証に特化、IFCN署名、同ネットワーク認証)が対で置かれる。Openはデジタルメディアとしてファクトチェック部門を持ち、IFCN署名、同ネットワーク認証、Metaが認めた独立ファクトチェック・チームである点が記される。IDMOはEDMOの国内ハブとして検知・分析・対抗を担い、OsintItaliaはOSINTを社会目的に用いる社会促進協会として位置づけられる。
制度側では、国家サイバーセキュリティ庁ACN(2021年設立)、通信規制当局AGCOM、首相府の情報安全保障部門DIS、個人データ保護当局Garante Privacy、郵便・通信警察Polizia Postaleが整理される。Garante Privacyの例として、2023年初頭のChatGPT一時停止とOpenAIへの透明性強化要求、前年のTikTokへの年齢確認強化要求が挙げられる。2020年4月のCOVID-19関連タスクフォース(情報・出版部門内で設置、パンデミック偽情報監視と政府広報調整)は、権限が限定的で議論もあったが前例として位置づけられる。AGCOMについては、パンデミック期に作られた偽情報観測所が更新なくアーカイブ化されたこと、DSAのDSCに指定されたことが記される。
法制度と政策枠組み
偽情報を直接対象とする独立法は存在せず、刑法一般条項、データ保護・選挙法、規制監督、EU法に整合した義務の組み合わせで対応している、という位置づけが置かれる。2017年の偽情報・ヘイトスピーチ対策法枠組み案、2018年の選挙期偽情報対策プロトコルの試みは、過剰介入の懸念などから放棄されたとされる。
刑法条項として、詐欺(640条)、名誉毀損(595条)、公共秩序を乱すおそれのある虚偽・誇張ニュースの流布(656条)、犯罪・暴力の教唆(414条)が例示される。ヘイトスピーチは1993年のマンチーノ法が枠組みとして挙げられ、ストーキング(612-bis条)、非合意の親密画像共有(612-ter条)、サイバーブリング対策(Law 70/2024)などが並ぶ。
EU枠組みでは、AGCOMがDSAのDSCに指定され、違法コンテンツ、透明性、システミック・リスク(偽情報を含む)の緩和義務に関するプラットフォーム遵守を監督する立場に置かれたことが中核になる。新設構想として認知安全保障庁ADISCが挙げられ、監視・分析と、情報機関・規制当局との調整を担う案として説明される。AIガバナンスとサイバー(ACN)へ寄せる別方向の提案も触れられ、情報環境の問題が「認知」と「インフラ(サイバー/AI)」のどちらに寄せて設計されるかが揺れていることが示される。2025年10月、上院の外交・防衛・EU政策委員会が民主的過程への外国干渉に関する決議を共同承認し、外国情報操作とハイブリッド戦術の脅威を認識し、国家およびEUレベルでのより明確な対応を求めたことが記される。
このファクトシートが示す全体像
本ファクトシートが事例から制度まで示すのは、偽情報が政治の外側で勝手に増殖する現象ではなく、政治過程の内部で、現実の出来事に誤情報・誇張・切り取り・権威付けが重なり、意味が再ラベリングされていく現象である。Global Sumud Flotillaでは国際水域内の人道支援が、資金提供説、自作自演説、閣僚発言、生成画像、なりすましの束として「脅威」へ位置づけ直される。国籍法改正レファレンダムでは制度設計(定足数)と争点化された言説が絡み、賛否の議論以前に投票行動が戦略化される。Pravdaネットワークは模倣・生成・複製・増幅の運用形で言語圏に入り込み、首相への偽装電話は国家中枢の発言を引き出して素材化するタイプのFIMIを可視化する。分野別整理はそれらがテーマごとに反復されることを束ね、対抗主体と制度枠組みは、担い手が存在しつつも統合が弱く、法制度が単独法ではなく一般法とEU枠組みに依存している現状を明示する。

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