ニュージーランド保安情報局(NZSIS: New Zealand Security Intelligence Service)は2026年8月、年次脅威評価「New Zealand’s Security Threat Environment 2026」を公表した。NZSISはニュージーランドの国内・対外双方を管轄する情報機関であり、スパイ活動やテロ、対外的影響工作など国家安全保障上の脅威を捜査・評価する権限を持つ。同局長官のアンドリュー・ハンプトン(Andrew Hampton)が序文を執筆し、2026年8月付で署名している。報告書は6項目の主要評価を提示する。地政学的動揺がニュージーランドに波及的脅威をもたらしていること、公的・民間セクターが知的財産や技術情報を狙う外国国家の標的となっていること、ディアスポラ・コミュニティが外国国家とその代理主体によって不当に狙われていること、内部脅威(インサイダー)が増加していること、テロ攻撃の可能性が「Possible」と評価されていること、暴力的過激主義が多様なイデオロギーとオンライン言説の主流化によって形成されていること、の6点である。なお本報告書はNZSIS自身が作成した脅威評価であり、資源配分や権限強化の根拠として自機関の役割を強調する構造的動機を内包する点に留意が必要である。以下、報告書が示す具体的な事例とデータに即して内容を検討する。
地政学的環境と5つの安全保障上の課題
報告書は、ニュージーランドが直面する安全保障上の課題を5つの構造的要因に整理する。第一に地政学的不確実性であり、貿易と国際的連結性に依存する同国にとって、既存の規範や多国間枠組みの動揺が国益追求の前提を掘り崩しているとする。第二に係争地域としての太平洋である。同地域は広大な海域、主要な海上交通路、天然資源(漁業資源および海底鉱物資源)、国際的な場での投票権をめぐって大国間の戦略的競争の対象となっており、ニュージーランドを含む島嶼国は経済的機会と主権侵害リスクの両方に直面していると分析する。第三に域外紛争の波及であり、イラン、ガザ、ウクライナといった紛争が、対立する集団を代表・支持・敵視すると認識される人々への暴力的言辞やオンライン上の敵対的行動という形で国内環境に影響を及ぼしていると指摘する。第四に国家による代理主体(プロキシ)の活用であり、これをグレーゾーン作戦またはハイブリッド脅威の一形態と位置づけ、情報操作、政治的・経済的威圧、サイバー攻撃、国家が資金提供する犯罪集団による暴力を含むと説明する。イランがヒズボラやハマスといった指定テロ組織を代理主体として利用してきた前例を挙げ、ウクライナおよびイランをめぐる紛争においてこの手法の新たな事例が生じているとする。第五に技術進展、特に生成人工知能(GenAI)の急速な発達である。生成AIは心理的脆弱性を突く物語を安価かつ迅速に作成し、大規模に拡散することを可能にしており、国家主体・暴力的過激主義主体の双方がこれを情報操作や過激化コンテンツの生成に用いていると報告書は指摘する。
スパイ活動環境
報告書は、ニュージーランドに対してスパイ活動を組織的規模で実施していると検知された国が中華人民共和国(PRC)のみであると明記する。国家サイバーセキュリティセンター(NCSC、政府通信保安局=GCSBの一部門)は、2022年の減少を経て、過去3年間にスパイ活動を動機とするサイバー活動が着実に増加していると検知している。学術研究についても、大学の公開性と先端技術が「協力」や「パートナーシップ」の名目で利用されるリスクが指摘され、2022年にユニバーシティーズ・ニュージーランドおよびサイエンス・ニュージーランドと共同で策定された「トラステッド・リサーチ」ガイダンスが対応策として紹介されている。民間セクターに対しては、フロント企業を利用した技術獲得の事例が報告される。ケーススタディとして、ロシア国営組織が、ニュージーランド登録企業の海外子会社を通じて軍事転用可能な特殊部品の調達を試みた事案が挙げられている。ロシア政府との関連は国際制裁および輸出管理の存在を理由に接近時には隠蔽されていたが、当該関連が判明した後、子会社は最終需要者に関する追加のデューデリジェンス文書を要求するようになったという。宇宙関連地上インフラ(Ground Based Space Infrastructure、GBSI)を標的とする事例も詳述される。中国系組織である紫金山天文台(Purple Mountain Observatory)が、過去12カ月の間にニュージーランド国内でGBSIの設置を試みたケースが紹介され、現地企業は当該設備が軍事的価値を持つ情報収集能力を有し、データの提供先を認識していなかったとされる。紫金山天文台とPRC政府との緊密な関係により、収集データの提供が強制されうるが、本件では自発的に提供された可能性が高いと評価されている。NZSISは他機関と連携してこの活動を妨害したが、同組織が独自にGBSIの設置を試みたのはこれが初めてではなく、今後も継続する可能性が高いとする。さらに、PRC軍事情報機関がプロフェッショナル向けSNSやオンライン求人サイトを通じ、政府職員(現職・元職を問わず)に接触する事例も報告される。手口は5段階に整理されている。第一に求人広告の掲載、第二に身元を隠した面接での政府関係者とのつながりに関する探りの質問、第三に知識水準を試す試験的レポートの作成依頼、第四に暗号化通信アプリへの移行とより機密性の高い情報の要求、第五にサードパーティ決済プラットフォームを通じたレポート品質に応じた報酬の支払いである。この手口はファイブ・アイズ諸国で共通して確認されており、NZSISは関連文書「Safeguarding our Secrets」を公表している。
インサイダー脅威
報告書はインサイダー脅威を「故意(deliberate)」「影響下(influenced)」「無自覚(unwitting)」の3類型に分類する。故意の事例としては、私生活の変化が職務上の判断力に影響を及ぼしていた政府機関職員が、その事実を同僚や上司に伝えないまま、信頼関係にあった別機関のシステムへの特権アクセスを個人的動機で悪用し、両機関に信用上の損害を与えたケースが紹介される。影響下の事例では、自身のセキュリティクリアランスをSNS上で公言していたニュージーランド人が外国国家主体の関心を引き、カバー企業を通じた高額契約の提示によって取り込まれかけた事案、また無自覚の事例では、政府職員がオンライン求人広告に応じて外国国家のために働いていることを認識しないまま、副業について雇用主に申告せず、相手企業への適切なデューデリジェンスも行わずに、政府での職務に由来する洞察を結果的に共有してしまった事案が挙げられている。共通要因として、経済的困窮、職場での困難、国際紛争や世界的不安定への懸念、精神的健康上の課題が指摘され、単一の要因のみでインサイダー行為に至ることは通常ないとする。NZSISは組織に対し、インサイダーリスクへの共通アプローチとして5つの原則(共通言語の採用、潜在的脅威の理解の拡大、意図の有無にわたる「スペクトラム」の考慮、兆候の検知と早期介入、効果的な介入の基盤の習得)を推奨している。
対外的影響工作環境
報告書は対外的影響工作を「政治的干渉」と「社会的干渉」に区分する。政治的干渉は政治家、候補者、政治的影響力を持つ人物を標的とする活動であり、2026年後半の選挙期間を通じて継続が見込まれるが、選挙結果そのものへの影響は生じにくいと評価されている。候補者への接近は選挙運動中の対応のしやすさを利用して行われ、周辺のコミュニティ担当者や顧問、スタッフも標的となる。共同関与者(co-optee)は自らの外国国家とのつながりを隠したまま、寄付や贈答、接待を通じて候補者との関係を構築し、数年後に活用しうる関係性を築くとされる。社会的干渉についてはより詳細な記述がある。第一の柱はトランスナショナル・リプレッション(越境的抑圧)であり、法的・行政的措置の威嚇、いわゆる「ローファーレ(lawfare)」を通じて行動を制御する手法である。領事サービスの拒否、旅券・査証の留保、渡航や銀行口座・不動産へのアクセス制限といった威嚇が確認されており、複数の国家が特定の抗議・政治運動への関与をやめない限りニュージーランド国内の人物を「ブラックリスト化」すると脅す事例もあるという。こうした状況を受け、2025年11月の刑法(Crimes Act)改正により、外国国家のためまたはその代理として、ニュージーランドの利益を損なう不正な行為を行うことを新たに犯罪とする規定が設けられた。第二の柱はゲートキーピングであり、一部の外国国家が非英語系メディアを通じてディアスポラ・コミュニティが接触する情報を統制しようとする動きである。情報操作の手法として、実際には行われていない発言をあたかもニュージーランド政府が当該外国国家の主張を支持しているかのように描写する事例、またコミュニティのリーダーに働きかけて「承認済み」のメッセージのみを住民に伝えさせる事例が報告される。ケーススタディでは、ある外国国家の在外公館が全国各地の地方自治体代表者やコミュニティ団体に対し、行事から「反体制的」とみなす人物を排除するよう継続的に圧力をかけている実態が示される。主催者側は当該人物の参加が外交上の摩擦やコミュニティの動揺を招くと説得されるが、実際の狙いは反体制派とみなす人物への統制と、その見解が広範なコミュニティに届くことの阻止にあるとNZSISは評価する。エスニック・コミュニティ省(Ministry for Ethnic Communities)は「Community Resilience to Foreign Interference Hub」を開設し、31言語でコミュニティ向けの情報・実践ツールを提供している。
暴力的過激主義環境
ニュージーランドの国家テロ脅威レベルは、統合脅威評価グループ(Combined Threat Assessment Group、CTAG)の評価により2022年以来「Possible(可能性あり)」のまま据え置かれている。最も蓋然性の高い攻撃シナリオは、オンラインで自己過激化した単独の実行者が、銃器や刃物、車両といった入手容易な手段を用い、人が密集する場所や象徴的な意味を持つ場所を標的とし、情報機関による事前の察知をほとんど、あるいは全く伴わずに実行に移すというものである。一部の個人については、即席爆発装置(IED)や3Dプリント銃器といったより高度な能力の獲得を試みる、または志向する事例も観測されている。イデオロギー別ではアイデンティティ動機および信仰動機の暴力的過激主義が引き続き最多を占める一方、単一のイデオロギー類型に収まらない「混合・不安定・不明確」な事例が常態化しつつあるとされる。イスラム国(Islamic State)やアルカイダは中東・アジア・アフリカの一部の許容的地域で拡大を続け、インターネットを通じてニュージーランドの個人にもプロパガンダが到達している。白人アイデンティティ系の暴力的過激主義集団は組織的凝集性こそ低いものの、類似したオンライン勧誘手法を用い、国内で受け手を見出しているという。男性優越主義的信念については、非暴力的な「トラッドワイフ(tradwife)」サブカルチャーから、女性への暴力を助長する暴力的男性優越主義まで、スペクトラム状に存在すると分析される。2019年のクライストチャーチ・テロ攻撃のライブストリーム映像は依然として国内で頻繁にアクセス・共有されており、同映像は「有害物(Objectional Material)」に分類され、視聴・共有は違法である。主流化の事例としては、白人人口が非白人移民によって計画的に置き換えられているとする陰謀論「グレートリプレイスメント理論」が、インフルエンサーや著名人によって拡散されている状況が挙げられる。影響力を持つ人物がこうした主張を発信することは、同種の言説を共有することへの抑制を弱め、レトリックを正常化し、個人の過激化に寄与しうるとされる。新興の潮流として「ニヒリスティック暴力的過激主義」が特記される。これは道徳的・法的制約のない社会への転換を志向し、殺人、性的暴行、児童性的虐待、拷問を含むあらゆる行為を許容する思想であり、主として国境を越えたオンラインコミュニティの中で、露骨な暴力表現や過激主義的言説、犯罪性、虐待が常態化・共有・称賛される形で発展しているとされ、関与者の多くが若年層であるという。ケーススタディでは、ニヒリズム系のオンライン集団に所属していた人物が国内での暴力を仄めかす投稿を行い通報された事案が紹介されるが、NZSISの評価では当該人物はイデオロギーへの真の理解や信奉を欠いており、実際には別の犯罪的関心が動機であった可能性が高いとされ、この人物は現在別件で服役中である。予防策としては、2022年公表の指標集「Know the Signs」(2006年以降の捜査事例に基づく50の指標)、12〜16歳を対象としたNetsafeのオンライン教育プラットフォーム「Headspace Invaders」、フロントライン従事者向けの「ポジティブ・オンライン・インターベンションズ」講座、多機関連携による離脱支援プログラム「He Aranga Ake」が紹介されている。
評価の手法と含意
NZSISは本報告書の情報源について、政府情報、学術研究、報道を含む多様な情報に基づくとし、情報コミュニティのアナリストと外部専門家による複数回の分析セッションを経て評価を策定したと説明する。評価全体の確信度は「中程度(medium confidence)」とされ、確率的言語には「Highly Unlikely(1〜10%)」から「Almost Certain(90〜99%)」までの6段階の尺度が用いられている。この手法的枠組みは、情報機関の脅威評価に共通する形式であり、断定を避けつつ蓋然性を段階的に示す点に特徴がある。報告書全体を通じて観察されるのは、スパイ活動・インサイダー脅威・対外的影響工作・暴力的過激主義という4分野が、生成AIという単一の技術要因によって相互に接続されている構図である。求人サイトを利用した勧誘の定型化された5段階プロセス、フロント企業を介した技術移転の隠蔽構造、ゲートキーピングによるディアスポラ・コミュニティの情報統制、そして生成AIによる過激主義コンテンツの大量生成という各領域の記述は、いずれも「正規のチャンネルを装いながら国家の関与を隠蔽する」という共通の作動様式を持つ。他方で、本報告書はNZSIS自身による評価であり、脅威の存在と深刻さを示すことが同局の予算配分・権限拡大の根拠となりうる構造的立場にある点は、記述内容を検証する上で踏まえておく必要がある。

コメント