2025年9月28日の議会選挙を前に、モルドバの情報空間ではロシアによる大規模な偽情報作戦が展開されている。WatchDog.MDが8月に公表した報告書「The Russian disinformation network in Moldova: Anatomy of a social media operation」は、TikTokやYouTube、Facebook、Instagram、Threadsといった主要なソーシャルメディアに広がる910のアカウントを特定し、その役割や連携の仕組みを詳細に解剖している。特徴的なのは、単なるボットだけでなく実在する人物が運用する偽名アカウント(いわゆるsockpuppet)が多数を占め、検出を逃れるためにコンテンツを微妙に加工しながら拡散を続けていることだ。
調査によれば、TikTokだけで392アカウント、Facebookでは290アカウントとページ10件が確認されており、その他YouTubeやInstagramでも活動が見られる。これらはプロ・ロシアの政治家や政党のメッセージを選択的に増幅し、EU統合やマイア・サンドゥ政権に対する不信を広める仕組みになっている。単発的な活動ではなく、組織的・継続的に構築されたプロパガンダ網がモルドバの情報環境を覆っているのだ。
AIアバターがつくる「群衆の声」
特に目を引くのは、人工的に生成された支持者像の利用である。元検察官でショール派とつながるビクトリア・フルトゥナは、制裁対象であるにもかかわらず、SNS上では「市民の熱烈な支持を受ける人物」として描かれている。その背後には、VEEDというアプリを用いて作成されたAIアバターが存在した。アバターは本物の人間のように語りかけ、EUやサンドゥ政権を批判しながらフルトゥナへの投票を呼びかける。
この手法は、かつて流行した指導者本人のディープフェイク動画とは質的に異なる。市民の「裾野の支持」を合成的に再現することで、あたかも広範な人気が存在するかのような印象を与える。人々の政治的判断は「どれだけ多くの人が支持しているか」という社会的証明に左右されやすく、偽装された群衆の声は現実以上の影響力を持ち得る。
コメント部隊と地区別ボットの組織化
モルドバに逃亡中のオリガルヒ、イラン・ショールの組織では、内部チャットに「オルヘイのソファ部隊組織」という文書が出回っていた。そこにはオンラインでコメントを投稿する担当者のリストが添付され、コメント欄そのものを「戦場」と位置づけていたことが分かる。コメント欄はユーザー同士が意見を交わす場であると同時に、多くの人に可視化される公共空間であり、そこを組織的に埋め尽くすことは大きな効果を持つ。
さらに2024年の大統領選では、モスクワから指揮される「ユーラシア」組織が全国120地区にボットを展開し、各地の活動家に具体的な投稿指令を与えていた。タスクはTelegramボットを通じて配信され、活動家はそれに従ってSNSに投稿する仕組みだった。こうした構造は「地区別の人間による工作」と「全国規模の自動化拡散」が組み合わされ、従来以上に巧妙な運用となっていた。
正教会を利用した価値観対立の演出
宗教もまた偽情報作戦に組み込まれている。モスクワ総主教庁系のモルドバ正教会は、資金移転や地元での宣伝活動の拠点となり、礼拝の場で反EUメッセージが語られることもあった。中でもバルツィ=ファレシュティのマルケル司教は、過去の選挙で親ロシア候補を支持しただけでなく、ワクチン陰謀論を広めるなど、繰り返し偽情報の媒体となってきた人物だ。
2024年のLGBTマーチの際には、警察と信徒の衝突映像が「政府によるキリスト教徒迫害」として拡散された。実際には秩序維持のための介入であっても、プロパガンダはそれを宗教的価値観の弾圧と読み替える。こうして「伝統的価値を守る側」と「欧州化を進める政権側」の二項対立が強化され、保守的な有権者を動員する道具となる。
ルーマニア大統領選をモルドバへ持ち込む
越境するナラティブの輸入も特徴的だ。ルーマニアの大統領選でカリン・ジョルジェスクが排除されると、モルドバ向けの偽情報ネットワークは「ルーマニアで民主主義が壊された、モルドバでも不正が準備されている」と主張を拡散した。また、極右政党AURのジョージ・シミオンがルーマニアで善戦した際には、そのメッセージがモルドバでも拡散され、在外モルドバ人10万人を動員して反サンドゥ票に向かわせる計画まで示された。
このように、近隣国での「不正選挙」物語がモルドバ国内の不信感に接続される。国外の出来事をテンプレートとして国内選挙に輸入することで、現地の文脈に合わせた陰謀論が生産されるのだ。
生活コミュニティを装うFacebookグループ
一見無害に見える生活系グループも利用されている。「Chisinau Beau Monde」というFacebookページは、中立的な広告を出して参加者を集めたが、実際にはプロパガンダ用のトラップ・グループへ誘導する仕組みだった。最初は中立的な投稿で安心感を与え、一定の人数が集まったところで政治的メッセージを投入する。この段階設計は、ユーザーが気づかぬうちに情報環境を歪めていく典型例である。
まとめ:合成される支持、制度化されるコメント戦
モルドバで展開されている偽情報作戦は、単なるデマ拡散ではなく、AIアバターやボット、宗教、国外ナラティブを組み合わせた多層的なものだ。AI生成の支持者が「人気の錯覚」を作り、組織化されたコメント部隊が公共空間を埋め、宗教的対立や隣国の出来事が不信の種として接ぎ木される。これらすべてがプラットフォーム横断で複製され、社会全体に浸透していく。
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