国境なき記者団(Reporter ohne Grenzen、RSF)のドイツ支部が2026年2月6日に公表した「Nahaufnahme 2026: RSF-Report zur Lage der Pressefreiheit in Deutschland(2026年版:ドイツにおける報道の自由の現状)」は、2025年のドイツにおける報道の自由をめぐる事象を横断的に記録した年次報告書である。33ページにわたる本報告書は、ジャーナリストへの物理的・デジタル的攻撃の記録、ガザ戦争がドイツ国内編集部に与えた分極化の影響、ロシアによるデジタル偽情報工作、スパイウェアと通信監視の制度的問題、亡命ジャーナリストの保護体制の崩壊、メディア産業の経済的危機という多層的な問題群を一冊に収める。報告書の著者はMichael Rediske、Katharina Viktoria Weiss、Noura Chalati、Maximilian Jung、Alina Clasen、Christopher Reschの6名で、ドイツ郵便コード宝くじの資金援助を受けて作成された。
ジャーナリストへの攻撃:55件の実態と構造
2025年にRSFが記録・ベリファイした攻撃は55件で、前年2024年の89件から減少している。ただし報告書はこの数字を単純な改善とは読まない。RSFには99件の報告が寄せられたが、証人不在や映像証拠の不足から全件のベリファイには至らなかった。内訳は46件の物理的攻撃、3件の編集部への器物損壊、6件のサイバー攻撃であり、最後のカテゴリは2015年のモニタリング開始以来の最多値だ。連邦議会選挙当日にtazのウェブサイトを2時間ダウンさせたDDoS攻撃はその一例であり、ハンガリー当局が後にHanoというハンドルネームのハッカーを逮捕した。Spiegel、Deutschlandfunkのサイトも2025年中に標的となっている。
地域別ではベルリンが20件と最多で、次いでザクセン9件、ザクセン=アンハルト5件と続く。46件の物理的攻撃のうち41件がデモ・党大会・抗議行動の現場で発生しており、最も危険な取材環境はデモ会場であるという傾向は過去数年から変わらない。右翼過激主義の取材が18件と最多の起源を占め、パレスチナ連帯デモが11件で続く。警察による暴力は7件ベリファイされた。Spiegel TVのThomas Heiseが2025年3月の右翼集会で顔に負傷し、4月には再びベルリン地裁前でネオナチに攻撃された事例や、TU Dresden の研究が「東部ドイツの右翼月曜抗議を取材する記者は警備なしでは著しいリスクに晒される」と結論づけたことが具体的な裏付けとして引用されている。
ガザ報道の亀裂:編集部内の自己検閲と外部からの攻撃
2023年10月7日以降のガザ取材がドイツの編集室に与えた影響は、RSFが前年の報告書(Nahaufnahme 2025)で初めて詳述し、本報告書でも継続課題として分析している。取材記者が報告書に語った内容によれば、イスラエル軍による人権侵害を他国・他の戦争で行うのと同じ形で取り上げることに困難を感じる記者が多く、用語規制・テーマ選択への干渉・反ユダヤ主義批判への恐怖から強い自己検閲が生じている。前年の報告書をうけて一部の放送局・出版社が内部指針を見直した一方で、緊張は2025年も解消されなかった。
イスラエル当局者による特定記者への名指し攻撃がRSFの調査対象となっている。イスラエル大使Ron Prosor、元軍報道官Arye Shalicarはそれぞれソーシャルメディアを使って個別の記者を偏向・反ユダヤ主義・テロ擁護として公然と非難した。ARDのジャーナリストSophie von der Tannは2025年11月にShalicarから「新しいドイツのユダヤ人・イスラエル嫌悪の顔」と書かれ、PresserpreiS授与前後に組織的なハラスメントキャンペーンの標的となった。Spiegel誌はProsorから「国内最大のテロリスト擁護者」と呼ばれた。ミュンヘン大学の世論調査ではドイツのガザ報道を均衡と見なす回答者は約25%にとどまり、約30%が親イスラエル寄りと認識、約9%が親パレスチナ寄りと認識している。
RSFの集計によれば、2023年10月から2025年12月17日までにガザで少なくとも220名のジャーナリストが死亡し、うち少なくとも65名は取材活動との直接的な関連が確認されている。イスラエル軍が意図的に記者を殺害したと判定されるケースも存在するとして、RSFは国際刑事裁判所(ICC)に計5件の申告を行っている。
右翼デジタルメディアエコシステムと組織的偽情報
トランプ政権第二期の影響がドイツの情報空間にも波及していると報告書は指摘する。意見主導型のポータルサイト(Nius、Apollo News、Compact等)は財務基盤を強化し、ライブ配信・ソーシャルメディア活動・インフルエンサーネットワークと組み合わせた大規模な情報発信を行っている。これらのポータルが個別のキャンペーンを展開することで、移民・犯罪・公共放送をめぐるナラティブが短期間で高い可視性を獲得し、擬似的な多数意見を生成する構造がある。
シンクタンクPolisphereがデータ分析によって実証した事例として、複数の右翼ポータルがFrauke Brosius-Gersdorf(連邦憲法裁判所候補者)の中絶に関する立場について虚偽情報を組織的に流布し、連邦議会でのCDU/CSUによる採決取りやめに結びついたという経緯が引用されている。Recherche Nord(ネオナチ調査集団)をAnti-Fa的な存在として組織的に中傷したNiusのキャンペーンも同様の構造の事例として記録されている。
デジタル偽情報:ロシアの干渉とプラットフォームの変容
2025年9月、トランプ政権はドイツを含む20か国以上と締結していた「Framework to Counter Foreign State Information Manipulation(外国による国家的情報操作への対抗フレームワーク)」への参加を撤回した。撤回の名目は「政治的検閲ツール」であるというものだ。このフレームワークはバイデン政権下でロシア・中国からの偽情報キャンペーンへの対抗を目的として締結されていた。
ロシアによるドイツへの偽情報工作の具体例として報告書が挙げるのが、Thomas RöperとAlina Lippの両名だ。Röperは「Anti-Spiegel」というオンラインチャンネルのネットワークを通じてロシアのウクライナ侵攻に関する組織的な偽情報を流布し続けており、2025年5月のEU制裁にもかかわらず活動を継続している。Lippは自称「戦争特派員」として、ロシア軍の娯楽・プロパガンダ放送局Zvezda に定期出演している。両名はEUが2025年にロシアの不安定化活動を理由で制裁リストに載せたドイツ人初の事例となった。
連邦議会選挙を前に、Correctivの調査はAI生成の偽情報と深層偽造画像(ディープフェイク)を使ってドイツの政治家(Habeck元経済相、Baerbock元外相等)を中傷するために構築された約100のウェブサイトネットワークを明らかにした。Institute for Strategic Dialogueは選挙直前、48の連携Xアカウントによるネットワークを特定しており、このネットワークはOperation Overload(Matryoshka)との類似性を持ち、欧州の信頼できるメディアのロゴを盗用して操作されたコンテンツを拡散する手口をとっていた。RSF自身も2024年7月以降このキャンペーンの標的とされている。
プラットフォーム側の変化としてはMetaが2025年1月に米国でのファクトチェックプログラムを廃止し、Mark ZuckerbergはジャーナリズムとファクトチェックをBiasedと断じた。RSFはこれをうけてAlphabetとMetaを「報道の自由の敵」リストに初めて掲載した。Xへの対応も悪化しており、ドイツ連邦犯罪局(BKA)がヘイトクライム関連でXに情報提供を求めた際、以前は80%の回答率だったものが2025年春に約33%まで低下した。BKAはXの対応を「積極的な妨害」と表現している。2025年12月にはEU委員会がXに対してDSA違反として1億2,000万ユーロの罰金を科した。EUによるプラットフォーム規制へのトランプ政権の干渉については、2025年夏のEU・米国貿易交渉でトランプが関税を梃子に「不当なデジタル貿易障壁を除去する」との合意を引き出し、ドイツの連邦経済相もEUデジタル規制の緩和を支持する発言を行っている。
スパイウェアと通信監視:構造的後退
欧州評議会が議論してきた「チャットコントロール」——WhatsAppやSignalなどE2E暗号化通信の無差別スキャンを義務付ける規則案——は、2025年中に市民社会と産業界の強い反発でデンマーク議長国が計画を撤回したものの、EU機関内の三者会議(トリアローグ)は2026年前半に任意型チャットコントロールや裁判所命令による個別監視という形で協議を継続している。ドイツはEU内で反対の鍵となってきたが、政権交代後の姿勢に不透明さが残る。
RSFは2025年8月、連邦情報局(BND)によるStaatstrojaner(政府が開発・利用するスパイウェア。端末に秘密裏にインストールして通信内容を傍受する)の使用を欧州人権裁判所(EGMR)に申請した。現行の通信監視制限法(G10法)では、監視対象の通話相手に過ぎないジャーナリストに対してもスパイウェアの秘密インストールが許可されており、事後通知の義務は多数の例外条項によって形骸化している。ドイツの裁判所は被監視者本人が秘密監視の対象であったことの証明を求めるが、秘密措置の性質上それを証明することは実質的に不可能だとRSFは指摘する。同様の問題は連邦警察法改正案における「通信源の遠隔監視」機能の導入、ベルリン州警察法の強化にも及んでいる。また内務大臣DobrindtがPeter Thiel創業の米Palantirのデータ分析ソフトウェアを連邦犯罪局・連邦警察に導入する決定を下したことも、欧州のデジタル主権の観点から懸念事項として記録されている。
亡命ジャーナリストと越境的弾圧
報告書は、ドイツに亡命したジャーナリストが出身国からの越境的弾圧(Transnationale Repression、TNR)に継続的にさらされている実態を複数の事例で記録している。イラン人亡命記者は2025年6月のイスラエル・イラン戦争(「十二日間戦争」)以降、フィッシング・アカウント乗っ取り・尾行の増加を報告している。トルコは特定記者のXアカウントへの国内ブロックを裁判所命令によって実行しており、新たなアカウントを開設しても同様に遮断された例が記録されている。エジプト人ジャーナリストBasma Mostafaは2021年にRSFの支援でドイツへの亡命を実現したが、ベルリンでの監視・脅迫・SNS上での暴力予告が続いており、2025年8月にロンドンで追跡者の一人が逮捕されたことを機にオンラインでの攻撃が再燃した。
ドイツ政府は新政権発足後、外国人居住法に基づいてアフガニスタン・ロシア・ベラルーシ・イランなど危機国のジャーナリストや人権活動家を対象に運用されていた人道的緊急受入加速手続きを停止した。RSFは過去3年間でこの手続きを通じて250人以上のロシア人ジャーナリストのドイツへの受入を支援してきたが、その法的根拠が実質的に閉ざされた形だ。アフガニスタン向けの緊急受入プログラムも2025年に完全終了し、内務大臣Dobrindtはすでに受入約束を得ていたジャーナリストへのビザ発給阻止を試みている。パキスタンで待機中の複数の受入約束取得者が強制送還されたケースも記録されている。
メディア政策:集中化と経済的崩壊
2025年10月、tazが月曜から金曜の紙媒体発行を停止し週末版のみの印刷へ移行した。これはドイツの日刊紙が平日版の廃刊という形でデジタルへ完全移行した最初の事例だ。広告収入のデジタルプラットフォームへの流出が地域・ローカルメディアの経営を圧迫し、地域紙の相次ぐ縮小・廃刊が続いている。
民間放送分野ではProSiebenSat.1がイタリアのMedia for Europe(MFE、ベルルスコーニ・グループの後継)に過半数株式を取得され、経営陣が刷新された。ドイツのメディア集中規制がテレビと紙媒体の市場シェアに焦点を置いており、米国のテック企業への広告収入集中という現実と乖離している点について、報告書は「メディア集中調査委員会が警告報告書を出しても実質的な規制権限はEUにある」と指摘する。
著作権問題についてはドイツ音楽著作権管理団体GEMAがOpenAIを訴え、2025年11月にミュンヘン地裁がChatGPTによるドイツ人アーティストの楽曲歌詞のライセンス無し学習は著作権法違反と認定した。また2025年3月からGoogleがドイツでAI Overview(AI生成検索要約)を開始したことで、報道機関のトラフィックへの侵食が加速しており、メディア・デジタル産業連合がDSAに基づくEU手続き開始を求めてドイツ連邦ネットワーク機関(BNetzA)に申し立てている。

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